「ベトナム子ども基金通信No.25」より


規約改定後初の会員総会、4議案を承認
ホゥエ氏は手紙で近況を報告

2003年ベトナム子ども基金会員総会は5月17日、アジア文化会館で開催、「2002年活動報告」「2002年決算報告」「2003年活動計画」「運営委員選出」の4議案が承認されました(2ページ参照)。記念講演では、ドンズー留学生会世話役のダオ・チ・ミン氏から「ベトナムの教育事情」についてご報告いただきました(6ページ参照)。
 会員総会は、2002年10月19日改定の新規約により、毎年1回開催することになりました(通信No.23参照)。これまでは、毎年、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表の来日に合わせて懇談会を開き、活動報告を行ってきました。2003年会員総会には、日程の都合により、ホゥエ氏は欠席しましたが、同氏来日の際には、あらためて報告会を開催する予定です。今回は議事に先立ち、近藤昇代表からホゥエ氏のメッセージが紹介されました(7ページ参照)。
 また、会員総会の開催日程は、本通信No.24紙上にてご案内、20名の会員にご出席いただきましたが、より多くの皆さまにお集まりいただけるよう、広報体制を改善し、参加者にとって有意義な内容となるよう心がける所存です。今後とも皆さまのご理解、ご支援を賜るようお願い申しあげます。
 4月に予定していた「ハノイ里子訪問ツアー」は3月末、新型肺炎(SARS)の影響を勘案し、延期を決定しました。同ツアーは、SARS感染の危険が解消次第、実施する予定です(8ページ参照)。


■2003年会員総会記録

2003年会員総会が5月17日(土)午後2時から、アジア文化会館で開催されました。議長には塩谷隆さん、書記に今井幸恵さんを選出し、総会次第に沿って議事が進められました。

1号議案 2002年活動報告
 標記につき前事務局長の南康雄運営委員から概略以下の報告があり、議長から諮った結果、全員異議なく承認した。
4月
・里子訪問ツアーを実施した。ホーチミン(HCM)市の里子との交流に20名が参加し、盛況だった。羽田空港から関空を経由し、現地入りした。反省点は、参加人数が多かったこと。しかし、里子の家庭を訪問でき、これまで以上に絆が強くなったとの感想も。今後、年1回は開催したい。駐ホーチミン市スタッフの交代期だったので、日本人スタッフが2名と添乗員も随行したが、事務局からも要員を派遣した方がいいかもしれない。
・駐HCM市スタッフが高橋佳代子さんから土肥明代さんに交代した。
5月
・前駐HCM市スタッフの高橋さんが帰国。
6月
・会員の吉田勉さんが栃木支部を設立した。
8月
・会員の湊記代江さんの招きで里子ラ・カム・ウィン・チーさん(高校1年)が来日、1週間滞在。茶道や華道を体験、毎日新聞東京本社を見学、「毎日中学生新聞」(2002年8月28日付)に紹介記事が掲載された。日本の高校生と交流したほか、東京ディズニーランドに行ったり、伊豆旅行をした。
9月
・避難所兼学校落成式が行われた。約343万円を拠出し、メコンデルタのカンボジア国境近くにあるロンアン省に建設した。
・青葉奨学会グエン・ドク・ホゥエ代表の来日懇談会を開催、会員など45名が参加した。奨学金の支給基準を厳しくすることなどが表明された。
・「ベトナム子ども基金通信」連載の元駐HCM市スタッフ脇平裕美さんによる体験記「人情の街サイゴン」が休載。
・会員の植田泰史さんが茨城支部を設立した。
10月
・東京の日比谷公園で開催された国際協力フェスティバルにはじめて参加した。AFS日本協会のプログラムで3週間の日程で来日したベトナム人の高校生が子ども基金のテントを訪問、その後、この内1名の学校にも青葉奨学生がいることがわかった。
11月
・元青葉奨学生で静岡市の日本語学校に通う私費留学生グェン・コック・カンくんと里親の黒羽宏さんが静岡で会う。カンくんは日本の大学院に進学したいと抱負を語る。
・2003年より青葉への送金がドル建てから円建てになり、為替リスクがなくなる。
・運営委員会で規約を改定し、2003年1月1日より施行。

2号議案 2002年決算報告
 標記につき南運営委員から概略以下の報告と岡村進監査から監査報告があり、議長から諮った結果、全員異議なく承認した。(以下略)

3号議案 2003年活動計画
 標記につき飯田博康事務局長から概略以下の報告があり、議長から諮った結果、全員異議なく承認した。
 ベトナム子ども基金の目的は「経済的理由により教育を受ける機会に恵まれないベトナムの子どもたちに対して奨学金を支給し、また、教育環境を整備・改善する」ことです。
 目的を達成するためには、ベトナム子ども基金会員の皆さまと運営委員会・事務局とのコミュニケーションを密にし、会員皆さまのご期待にお応えすることです。その結果、青葉奨学会の目的達成に貢献することと考えます。
 ベトナム子ども基金は2003年、486名の子どもたちに奨学金を約束しました。昨年と同額の基金の確保が最重要課題になります。基金を確保するためには、既存会員の皆さまのご協力と合わせて、新規会員の確保が必要になります。
 また、運営委員・手紙翻訳者等の活動はボランティアで行っております。少しずつ業務を分担し、無理なく活動が続けられることが大切です。会員皆さまのご協力をいただき、目的が達成できるよう、重ねてお願い申しあげます。

1.広報活動の充実
 イ)会員参加型のベトナム子ども基金通信の実現
 ロ)ニューメディアの活用(インターネット等)
 ハ)関係機関との交流
2.里子と里親との関係強化
 イ)手紙交換の充実
 ロ)スタディツアーの実施
3.学生会員の新設
4.10周年記念事業の準備
5.軽費の圧縮
 イ)予算管理の実現─毎月の会計報告
 ロ)通信費の節約─領収書の廃止
 ハ)業務の効率化(無駄、ミスをなくす)

4号議案 運営委員選出及び承認
 標記につき飯田事務局長から以下16名の第5期運営委員選出の提案があり、議長から諮った結果、全員異議なく承認した。
 近藤昇、飯田博康、岡村進、南康雄、今井幸恵、小河原理枝、小沢玲子、窪寺裕子、土井敏邦、中原和夫、中村伸、原二郎、藤田政弘、本間きく、丸山明美、望月良憲(いずれも再任・任期は2003年6月3日から2005年6月2日までの2年)

 以上により議事はすべて終了し、その後、記念講演をおこなった(6ページ参照)。

 なお、6月21日開催の運営委員会で役員を次のとおり選出しました。代表:近藤昇、事務局長:飯田博康、監査:岡村進、南康雄。

 現在、里子からの手紙の翻訳にご協力いただいているのは次の方々です。浅利幸江、大村晴、島田直子、津久井純、早川明子、南康雄、森由紀子(敬称略)。


■ベトナムの教育事情

ダオ・チ・ミン

私が日本に来てから30年近くなりました。この間、ハノイで文部省の保育園関係の仕事をしていたことがあります。現在、仕事で毎年半年は農村地帯に行っております。帰国時は、友人宅に下宿します。
  3年前のことです。ベトナムのクアンビン省はとても貧しい地域で、人びとはホーチミン(HCM)市に仕事を求めてやってきます。私は、そんな一人の女性に会いました。彼女はまだ23歳です。農村地帯はまだ封建的で、強制的に結婚させられ子どもができましたが、ご主人に暴力を振るわれ、我慢できずに家を出て、HCM市にやって来ました。ここでは家政婦の仕事をしたり、外資系の工場で縫子をして働きます。
 彼女は4歳になる男の子を連れてきました。私の下宿の大家のところで何時間か働き、また別の仕事に行く。彼女は同じ地方から何人かと一緒に来て、狭い部屋に4、5人で暮らしていました。昼間はみな仕事に出かけるので、彼女の子どもだけがその狭い部屋に残されます。彼は部屋でずっと待っています。今では7歳か8歳、小学校へ行く歳です。でも、彼には親に反抗したり、甘えたり、まったくそのような傾向がありません。あまりにも落ち着いていてびっくりするくらいです。まだ小さい男の子なんですが、お母さんがかわいそうだということが、わかるんです。我慢するしかないのです。友人たちが、祖父母の元に戻した方がいいんじゃないかと相談していましたが、地方に戻っても学校には行けません。生計のために、農業や漁業の仕事をしなくてはなりません。このような話は、ベトナムでは、ごく普通の話です。地方からHCM市に出て来ている女性は、場合によっては子どもも連れて、生活は1日10〜30円で大変です。それでも子どもは頑張るんです。
 農村の家庭では、子どもが4、5人いるのは普通です。父親が農業をしていたら、兄姉が弟妹の世話をします。昔の日本と同じです。兄姉が学校に行けなくなることもあります。ですから、奨学金も、生活が厳しくても頑張っている子どもたちにあげるのです。
 農村地帯はHCM市よりずっと貧しい。奨学金を渡しても、生活費になってしまうことがあります。本来は、子どもの手に渡ったら、親が管理しなければならない。その点が課題です。親も子どもが何人もいてすごく貧しいので生計を立てるので精一杯です。貧しいとそのお金も遣ってしまうことがあるのです。
 保育所や託児所、国の援助についてご質問がありました。これは、地元住民が優先されます。他のところから来た人には登録そのものがありませんから、手続きが難しい。また、ベトナムでは経済的に困るとまず家族や親戚が助けます。国の制度はまだ形式的で、施設がほとんどなのです。養護施設に子どもを入れても、出てしまってストリートチルドレンになってしまいます。この10年、みんな必死に働いています。お金がなければならない。でも、もう少したったらそういう問題が出てくるんではないでしょうか。

(Dao Thi Minh・ドンズー留学生会世話役)


■奨学金支給に一定の制限を

グエン・ドク・ホゥエ

ベトナム子ども基金会員の皆さまが会員総会にお集まりにもかかわらず、私は遠距離の関係により出席できませんことを大変残念に思っております。この手紙により、私のいくつかの考えをお伝えいたします。
 ベトナム子ども基金も丸8年になりました。この間、ベトナムの子どもたちを様々な形でご支援いただきました。まず、奨学金支給についてですが、1997年度は351名に支給していただいたのが、2003年度は486名となっております。これらの奨学金は22都市・省にわたって支給されています。皆さまの奨学金を受けた学生も成長し、大学で学ぶ学生もいれば、学校を卒業し、社会人となっている者もいます。奨学金を受けられたことは彼らの誇りとなっております。それは数千人の中から、家が貧しくとも勉強がよくでき道徳的にも素直な、模範的な学生として選ばれた証だからです。みな貧しい家庭の子どもですので、支給された奨学金が学校に通うためのチャンスにもなっている学生もいます。奨学金がなかったとしたら、家で親の手伝いをしなければならないため、もしくは生計を助けるために働かなければならず、学校に行くことができない子どももいるでしょう。奨学金は学生たちに教科書、ノート、鉛筆、洋服を与えてくれるものでもあります。奨学金は彼らの家庭の副収入でもあるのです。皆さまからいただいた奨学金は精神面においても、また物質面においても大変貴重なものなのです。ベトナムにはこういうことわざがあります。「果物を食べるときは木を植えた人の苦労を忘れるな。水を飲むときはその源を考えるべきだ」。奨学金を受けた学生、また彼らの家族はいつまでも皆さまの貴重なご支援を忘れることはないでしょう。
 奨学金以外にもベトナム子ども基金の皆さまには、ベトナムのために4つの学校を建設していただきました。カーマウ、ベンチェー、ビンフック、ロンアンの4省に各1校ずつです。皆さまのおかげで辺境地の子どもが美しい学校を得て、あの明るく気持ちのよい教室で勉強できるようになりました。
 ロンアン省トゥートゥア郡ロントゥアン村の学生たちには、飯田博康事務局長から村の育英会に60万円の寄付をいただきました。この寄付は銀行に預け、毎年発生する利息を村の優秀な学生に奨学金として支給します。ベトナムの預金金利はまだ高く8%もありますので、この60万円から毎年約608万ドンの利息が発生します。仮に1人当たり10万ドンを支給した場合、毎年60名もの学生に奨学金を支給できます。農村でこれだけのお金をもらえることは、村人や教員にも考えられないことです。
 ベトナム子ども基金が、ベトナムの子どもたちの教育に大変貢献していることは間違いありません。支援を受けた学生、彼らの家族、その地方の人びとの記憶に皆さまが残り続けるだろうと信じております。私はひとりのベトナム人として、この場を借りてベトナム子ども基金と皆さまに感謝申しあげます。
 ベトナム側から見ていくつかの不合理な点が感じられますので、ここで述べさせていただき、皆さまにご検討願いたいと思います。
1.これまで奨学金はドル建てで行ってきましたが、為替変動の心配から2003年から円建てに切り替えることにしました。里親様からは円でいただいておりますので、一番合理的かと考えられます。そうしますと、奨学金は毎月、小学生500円、中学生750円、高校・大学生1000円となります。これはすでに実施されています。子ども基金から皆さまに報告があったと思いますが、ご了承くださいますようお願い申しあげます。
2.里親様と里子に間に感情が生まれることは避けられません。里子を自分の子どものように思われる方もいらっしゃいます。大学まで、また本人が社会人になるまで支援したいと希望されることもよく理解できますが、その反面、次のような矛盾も出てきます。
 奨学金の数は限られているにもかかわらず、一定の学生のみに支給し続けると、他の優秀な学生にはチャンスが与えられない。(10〜16年も続けて奨学金を受ける学生もいれば、たとえそれらの学生より素晴らしい学生だとしても1度もチャンスがない場合がある。)
 奨学金を受けている学生は甘えやすい。必ず奨学金を受けることができる、必ず里親様が事務局に話をしてくれると安心し、努力しない学生も出てくる。
 以上2点から、ベトナム側事務局は次のような提案をしたいと考えております。奨学金の支給には期限をつけ、各教育課程ごとに限ります。小学生は最高5年、中学生は4年、高校生は3年とし、その教育課程年数だけを継続支給とします。また、すべての学生は必ず1年ごとに更新手続きを行わなければなりません。これはその本人の精神を引き締め、同時に他の学生にも希望を与えるためです。どうか以上の考えについてご理解いただけますようお願い申しあげます。
3.ベトナム側の仕事としては、業務的仕事は一応軌道に乗っておりますが、今後は学生たちの精神・道徳面の教育に力を入れたいと考えています。彼らが優秀でよい心を持ち、また社会や周りの人のために役立つ人間に育つこと、これが我々、そして皆さまの期待であります。さしあたり、学生、またホーチミン市の元奨学生の中から先輩にあたる学生たちを教育して、彼らを通じて他の学生に影響を与えようと考えております。また遠い地方の学生に対しては、手紙(日本の「ベトナム子ども基金通信」にあたるようなもの)を使って、精神・道徳・理念の教育を少しずつ試したいと考えております。どこまでできるかは現時点では、はっきりと言えませんが、スタッフ一同がんばりたいと思っておりますので、どうかご支援ください。
 最後になりますが、ベトナム子ども基金の会員の皆さまに厚く御礼申しあげます。皆さまのご健康をお祈りして、私のあいさつとさせていただきます。

(Nguyen Duc Hoe:ベトナム青葉奨学会代表)


■ハノイ里子訪問ツアー延期について

ハノイ里子訪問ツアーは突然の新型肺炎(SARS)流行で延期せざるを得ない状況になり、皆さま方のご期待に添えず大変申し訳なく思います。一時も早く解決し、里子訪問ツアーが実施出来ますこと切に願っております。
 さて、ベトナム側からの報告が届きましたのでご報告いたします。
 今回のハノイ里子訪問ツアー延期については関係者一同大変残念に思われたようです。特にハノイ奨学会は事前準備に積極的に行動していただきましたので、非常に残念がっていらしたそうです。
 青葉奨学会との関係強化はもちろんのこと、日本の里親に直接会える絶好の機会として期待が大きく、ハノイのマスコミ機関へのPRが出来るチャンスと考えていたようです。
 延期の連絡は青葉奨学会のホゥエさんから、ハノイ奨学会と青葉のハノイ連絡役のチュオン・ホン・カィンさんへ直接連絡いたしました。そしてハノイ奨学会とカィンさんが各学校へ連絡し、学校から全奨学生に延期の連絡が届けられました。延期の理由はSARS流行による影響です。(飯田)


■「我が子を学校に」親の強い思い

土 肥 明 代

青葉奨学会で、直訳すると「長兄キャンプ」という新しいプログラムが始まりました。これは、元・現青葉奨学生の中から青葉の後継者となり得るような青年(先生方から見て素直で、青葉の仕事も積極的に手伝っている青年)を選び、彼らにリーダー性を身につけさせることを目的としています。このキャンプを通じて彼らが現奨学生たちをまとめ導き、先生方と奨学生たちの仲介役に育ってくれることを願っています。
 このキャンプに参加しているメンバーは、一番年上は私と同い年の27歳、一番年下は現在11年生(高校2年生)です。このようにすでに年齢が高いため、青葉奨学会スタッフである私にとっても、彼らは「元(現)青葉奨学生」というより友達といった感じです。彼らはまさしく『家庭が貧困であるにもかかわらず成績優秀で素直であること』を条件とする、「青葉奨学金」を受けるにふさわしい学生たちばかりです。
 全員を紹介することはできませんが、たとえば一番年上の青年は、弟が生まれてすぐ(彼もかなり小さいうち)に父親を亡くし、それからは母親と兄姉弟と共に協力して暮らしてきました。彼はバイクの見張りなどいろいろな仕事をして学費を稼ぎながら大学に通いました。
 現在大学浪人中の青年は、母親のお腹にいるときに父親に捨てられ、母親とともに5歳のころから5、6年間、宝くじを売って生計を助けていました。その後、母親が病気になり手術を受けたときには、母親の食事の面倒から洗濯、そして排泄物の処理まで彼がすべて行っていました。彼は5年生のときに親孝行な学生として表彰されました。
 彼らには、苦しかった過去をまったく感じさせない、強さと明るさがあります。彼らのように経済的に苦しい環境にいながらも大学まで進学できているのは、彼ら自身の勉学に対する努力とともに、なんとしてでも子どもを学校に通わせようという親の強い思い、親の努力なしには達成できないことです。
 私は青葉奨学会での仕事のほかに、週に2回ですがストリートチルドレンの施設に通っています。家を捨てストリートチルドレンとなった子どもたちの背景にはいろいろなケースがありますが、やはりどうしても根底には貧困があります。それ以外に目立つのは家庭環境の複雑さです。両親が離婚し親戚に預けられていた、継父もしくは継母とうまくいかなかった、家に居場所を感じられなかった、親が刑務所にいる、父親がアル中、親からの虐待……。これらを通じて考えられることは、彼らは親から受けた愛情が少ないだろうということです。ストリートチルドレンの全員がそうだとは言えません。なぜなら、家計を助けたくて町に出て働き、親に仕送りしている子もいます。しかし、大半の子どもたちが家庭に問題があり、家族の愛情が少ないといえると思います。
 青葉の子どもたちとストリートチルドレンでは、それぞれの家庭に経済的差はありますが、それ以上に家庭の愛情に違いがあるのではないかと思います。親もしくは一緒に暮らす大人が子どもに愛情を注ぎ、子どもを必死に養っていれば、子どもはその姿を見て愛情を感じ、親たちの愛情や苦労に応えようと彼ら自身も努力するのだと思います。
 私は、家庭の愛情が一番根底にあるものであり、すべての基本なのではないかと考えています。

(どひ あきよ・駐ホーチミン市スタッフ)


ハノイの人々とSARS

岡 村 多美子

一時帰国中に「謎の肺炎。ハノイでも1人死亡」というニュース。1週間後に戻る予定だったのでびっくり。すぐにメールで問い合わせたところ、最初の患者の出た病院が閉鎖されたがそれ以上広がってはいない、安心して戻って来い、とのこと。心配でしたが予定どおり戻りました。その時点ではむしろ戦争の方が気になりましたし、成田空港もなんら変わりなく、ハノイのノイバイ空港でも健康状態申告書のチェックをしている様子はありませんでした。
 翌日、勤務先であるタンロン大学へ。案の定、全く話題にもなっていません。机の上にWHOとベトナム医療省連名のリーフレットが1枚放り出してあっただけです。こちらでも3月12日の初報道以降、毎日状況が伝えられてはいましたが、ハノイはどこへ行ってもまったくの普段どおり。人々が予防用マスクをして生活している外国の様子も連日報道されていました。医療用は白いマスク。ベトナムのマスクはカラフルなチェックやストライプ。マスクはあくまでも排気ガスよけや日焼け防止のため。白いマスクをして歩く外国人を見て「口輪をされた犬のようだ」という冗談があったそうですが、私の周りでは本当に話題にすらならないので、旅行会社のメルマガで回ってくる日本大使館からの連絡とインターネットで情報を得ていました。いざとなれば帰国するつもりで。
 そんな中で学生たちと、子ども基金のハノイツアーの通訳としてお手伝いする準備をしていました。日本語教師以外の“普通の”日本人と話せるめったにないチャンスです。学生たちはとても楽しみにしていましたが、延期の決定。「怖い病気が流行っているので、残念ですが延期になりました」と学生に告げると、やはり。「何の病気ですか?」と言う学生がいました。
 今、ハノイでは路線バスがどんどん整備されており、とても便利になりました。快適なクーラー付きの新しい大型車両で2500ドン均一です。学生定期は路線指定で1か月1万5000ドン。全線共通でも3万ドン。3月末から4月は37〜38℃の日が続き、大学生に路線バスで空港へ行き、冷房の効いた待合室で飛行機を見ながらおしゃべりを楽しむという遊びが発生。何もこんな時にわざわざ空港へ行かなくても! 大学生ですらこの程度の認識なのです。そして制圧宣言。もうベトナムは安全。なんの心配もない。自画自賛? かえって怖い。あらためて周りのベトナムの人たちに予防のためにどんなことをしているか聞いてみました。答えはひとつ。「怖いです。でも全然何も。最初からずっと」
 日本のように過剰と思えるほどの報道はされませんし、そもそもテレビニュースを見る人も、新聞を読む人も少ないのですから、平穏なのは当然かもしれません。最初の患者が外国人で、隔離されたフレンチホスピタルは外国人と特別裕福なベトナム人だけが行く病院。また、治療にあたった隣のバックマイ病院は重症患者の、そして日本の援助が入っている特別な病院。だから「自分とは関係がない」と考えているようです。しかし、いつ、どこから入ってきてもおかしくない上に衛生観念も低い。待合室から溢れた患者が地べたに座って待つほどごった返している普通の病院や山奥の国境地帯で患者が出たら……。考えると恐ろしい。とはいえ、その後ずっと落ち着いている。どうして? でも、さすがベトナム!

(おかむら たみこ・タンロン大学日本語科教員,元ベトナム子ども基金事務局長)


10周年プロジェクトvol.1
〈ベトナム子ども基金〉動の時代へ

1995年にスタートしたベトナム子ども基金も、2005年初夏に10周年を迎えます。
 ベトナム青葉奨学会を設立したホゥエ先生の趣旨にご賛同いただき、貧しくとも次代のベトナムを担う子どもたちを応援してくださる会員のみなさまの、暖かいご支援の歴史でもあります。創立時から積み上げてきた会の基礎期を第1ステージとすると、さらなる子どもたちへのサポートと会の充実を目し、第2ステージへのジャンピングボードとして「10周年プロジェクト」が発足いたしました。
 奨学生の素顔をもっと沢山みなさんに紹介し、里子・里親との交流を深めるために、通信やホームページのリニューアル、記念スタディーツアーやイベントの開催など、今はまだ「何が出てくるかはお楽しみ!」の手探り段階ですが、当コラムにてその経過報告をしてまいります。どうぞご期待ください。

(「10周年プロジェクト」チーム・小沢玲子)

領収書送付について

これまで皆さまからお送りいただいた支援につきましては、その都度領収書を発行してまいりましたが、業務の簡素化、通信費の削減のために2003年4月1日より、郵便振替は郵便局の受領証、銀行振込は銀行の送金明細票をもちましてベトナム子ども基金の領収書のかわりとさせていただきます。
 また確認のために、年4回発行する「ベトナム子ども基金通信」紙上で、お送りいただいた方のお名前と送金月を掲載いたします。もし、これまでと同じように領収書を必要とする場合は、その旨お知らせいただければお送りいたします。
ご理解ご協力くださいますようお願いいたします。

会員の皆様へ:本通信への投稿を歓迎いたします。当基金の活動や本通信について、ご意見・ご感想をいただければ幸いです。原稿は郵便・電子メールで受け付けております。なお、原稿をお送りくださる際は、連絡先も必ず明記してください。
 採用原稿は、文意を変えない程度に編集することがあります。また、原則ホームページにも掲載いたします。あらかじめご承知おきください。(編集部)


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