「ベトナム子ども基金通信No.37」より

1.会員総会で元青葉奨学生がスピーチ −ベトナム人留学生の課題−
2.里子からの手紙
3.2007年青葉奨学生審査開始
4.2007年学校建設基金募集
5.ベトナム子ども基金ロゴ策定
6.黄梅基金学校建設予定地視察
7.ホアロイ小学校に附帯設備完成
8.事務局便り


会員総会で元青葉奨学生がスピーチ
−ベトナム人留学生の課題−

 元ベトナム青葉奨学生で日本に留学中のグエン・カン・ティンさんは5月20日、ベトナム子ども基金定期会員総会に参加し、「ベトナム人留学生の課題」をテーマにスピーチを行った。新聞配達をしながら日本語学校に通うティンさんは、家族と離れて暮らす寂しさとともに、公害などベトナムの環境問題に取り組むため大学で勉強したい、と抱負を語った。

■日本での生活に慣れることから

グエン・カン・ティン

 初めまして。私はグエン・カン・ティンと申します。ベトナムで青葉奨学金を8年間もらっていました。ありがとうございました。その後、ドンズー日本語学校の留学プログラムに参加し、2006年3月に日本に来ました。
 今、新聞配達をしながら、日本語を勉強しています。日本語はまだ下手です。ですから、たくさん話したいですが、しかし、日本語の言葉が足りません。
 ベトナムの子どもたちは、奨学金で勉強するための本や道具を買います。ベトナムには優秀な学生がたくさんいますが、その多くは貧乏です。学費を払うことができません。ですから、学校に行けず、勉強を止めなければなりません。
 私は里親さまから助けてもらいましたから、学校へ行くことができます。青葉奨学金をもらっている学生を代表して申し上げます。里親の皆さま、ありがとう ございます。これからも、後輩たちのためによろしくお願いします。
 今日は夕刊が休みです。店長から休みをもらいました。新聞配達は、朝2時半から始まって終わるのは6時ごろです。日本語学校は9時から12時半までです。私の学校は、東京日本語学校です。
 学校は渋谷駅の近くにあります。ベトナムで6カ月、日本語を勉強しました。日本の学校で初めて勉強しますから、ちょっと寂しいですが、毎日友だちと会うのはとても楽しいです。私の友だちはいろいろなところで仕事をしていますから、学校で会います。楽しいです。勉強や生活や仕事について話をします。学校にはいろんな国から来た学生がいます。私のクラスは13人です。そのうち9人はベトナム人です。みんなドンズー出身者です。みんな新聞配達をします。他のドンズーの学生は、盛岡や広島や静岡に行きます。
 学校へ行く電車は毎日満員です。私は小さいですから大変です。
 学校で勉強した後、また新聞配達をします。2時半から5時までです。その後、家へ帰って、ご飯を食べて、少し勉強して、だいたい10時に寝ます。毎日4時間ぐらい寝ます。
 初めて日本へ来て、バイクの免許がありませんから、自転車で新聞配達をします。とても大変です。私のところは、川崎の宮崎台です。坂がたくさんありますから、新聞も重いです。自転車で上ることができません。毎日4時間寝ますが、学校へ行っていつも眠いです。今は免許を取りましたから、新聞を配ることは大変ではありません。
 毎日だいたい400軒、新聞を配ります。朝日新聞は200軒、日経は120軒、他の新聞が20軒です。
 日本の大学に入るために、一生懸命仕事をしながら勉強します。私は環境問題を勉強するつもりです。ベトナムでは今公害があります。環境対策はまだ発展していません。ですから私は環境問題について勉強したいです。日本はベトナムより発展した国ですから、環境はいいです。私は環境問題を解決する技術を勉強したいです。
 毎日仕事を終わって、うちへ帰って、疲れてとても眠いです。何もしたくありません。体がだるいです。寝たいです。楽しいことは友だちに会うことです。今は日本語が下手です。そして、日本の道もわかりませんから、どこも行きません。
 日曜日は朝刊を配達した後で寝ます。だいたい12時まで寝ます。夕刊はありませんから、うちで勉強します。もし友だちが電話をかけてきたら、友だちの家に遊びに行きます。
 お酒は、ベトナムでは18歳で飲めます。私は19歳ですが、飲めません。ベトナムでビールを飲んだことはあります、少し。
 ご飯は自分で作ります。毎日野菜と肉を鍋に入れて作ります。日本に来たとき、少しベトナムのラーメンを持ってきました。初めは日本のラーメンを食べられませんでした。今は食べられるようになりました。ベトナムのご飯は日本のより甘いです。
 私の家族は今、ホーチミン市に住んでいます。家族は4人います。両親と私と弟です。弟は今、16歳です。高校生です。父は運転手です。家族の生活はあまり良くないです。ですから私は生活を良くするために一生懸命勉強します。

(Nguyen Khanh Tin)


総会終了後の懇親会にて。後列左から3人目がティンさん


■里子からの手紙

乗り越えなくてはならない境界

ヴォー・ミン・チュック

 私は高校の卒業試験が終了したばかりです。この7月の大学入試にも合格できると信じています。
 里親さまは最近、お元気でいらっしゃいますか? 私は試験が終わったところでとても元気です。ベトナム南部は現在、雨季です。こちらは季節が雨季と乾季の2つしかありません。北部では四季がはっきりしています。私は四季を体験するため、1年間北部に行ってみたいとずっと願っていたものです。日本には四季がありますか? 今そちらはどの季節でしょうか? もし冬だとしたら、寒くないように暖かくしてくださいね。
 里親さまのご家族はお変わりなくお元気ですよね? 私はこの世の中のすべての人が皆、幸福を享受できたらいいなあと思います。
 私はずっと考え不思議に思っていることがあります。それは、なぜとても恵まれている人もいるのに、ものすごく貧しく苦しい生活の人もいるのでしょうか。なぜ誰もが皆同じようにはなれないのでしょう?
 そのように思いながらも、しかし、神様は人々に何かをお与えになる一方で何かほかのものを取り上げられるのだ、とも思います。
 私は常々次の言葉を心に留めています。
「生は死の中から生じるもので、幸福は苦難と犠牲の中から形を現す。この世には同じ道はひとつとしてなく、ただ境界があるのみである。大切なことはそれらの境界を乗り越えなくてはならないことである」
 里親さま、この言葉はとても素晴らしく、大変正しい哲学だと思われませんか? これは、私が12年生になってから習ったばかりの作家グエン・カイ(Nguyen Khai)の「落花生の季節(Mua Lac)」という作品の中の文章です。
 なんだかすっかり話題が脱線してしまいました。今から私の勉強の結果に戻りましょう。学年末、私は非常に優秀な生徒(8.5点)、クラスで1番になることができました。私はとてもうれしいです。通常であれば数年前は学年末に非常に優秀な生徒になると、卒業試験で加算され、非常に優秀の評価で卒業すると大学入試でも加算されました。しかし、今年は教育省が見解を変え、どんな点数も加算せず、卒業試験に合格することのみが必要とされるのです。
 本当のことを言うと私はとても悲しいです。私の父がずっとお酒を飲んで酔っ払ってばかりいるのです。父の様子はこのところ普通だったり怒ったりです。私は何度も何度も諭しました。
 今は学校を離れ、教室を離れ、生徒だった時間とも離れて、本当によりどころがありません。しかし、私は将来、働いてお金を稼ぎ、家族を養うため、大学に合格しなくてはなりません。私は人々が「生徒の時代ほど美しい時間はない」と言うことは正しいと感じています。里親さまもそうお感じになられますか?
 手紙の最後に里親さまのご健康とご多幸を謹んでお祈り申し上げます。

(Vo Minh Truc)

*   *   *

ベトナムの素晴らしさを伝えたい

レ・ティ・フォン・タオ

 里親さまは近ごろ、お元気でいらっしゃいますか? 日本の冬はとても寒いそうですね。里親さま、寒くないようにセーターをたくさん着てくださいね。
 私には、父がそばにいてくれませんが、母と兄とに恵まれ、楽しく幸福に暮らしています。そんなとき、里親さまがそちらでお一人で暮らしていらっしゃることに思いを馳せます。もし里親さまがお寂しかったら、私が里親さまにお送りした手紙を取り出してくだされば少しは寂しさがまぎれるかもしれません。ですから、私は里親さまにたくさん手紙を書きますね。
 私は今学年、優秀な生徒になりましたが、非常に優秀な生徒にはなれなかったので、大変悲しいです。次の学年ではもっと一生懸命努力することをお約束いたします。
 里親さまが私に会いに来てくださったときは本当にうれしい時間でした。これも私が長年夢見てきたことのひとつですが、現実になりました。里親さまと私とはそれぞれ言葉が違いますが、それは里親さまが今まで私に下さってきたお気持ちをさえぎる隔たりにはなりませんでした。
 私は日本語を勉強する機会ができたらいいなと思っています。里親さまがまたおいでになったときに、ベトナムの素晴らしさや美しさについて里親さまにいろいろお話しすることができるからです。
 母は家で小さな雑貨屋を開いているので、私は店番などを手伝っています。母はよくせきや頭痛がします。天候によって病気がぶり返すのです。私はそんなとき、母の養育の苦労を裏切らないようもっと良い成績を取らなくては、と自分に言い聞かせるのです。私の兄は現在、工員で母の苦労を少しは背負ってくれています。
 最後にこの遠い場所より里親さまのご健康をお祈り申し上げます。また里親さまにお便りいたします。

(Le Thi Phuong Thao)

*   *   *

誇らしい物売りの声

グエン・ティ・トゥイ・リエウ

 日本は今、どの季節ですか? 暑いですか寒いですか、里親さまはこの季節に適応されていらっしゃいますか?
 毎朝、新たな1日の準備をされるとき、5分か10分の簡単な手足の運動をしてみてくださいね。血行が良くなって元気が出る感じがします。電車に乗って通勤されるときも、疲れが少なく感じると思います。私の父も、雨の日も晴れの日も休むことなく毎日仕事に出掛けて大変疲れています。でも毎朝起床したとき私の父は体操を続けています。こうすることで、重労働の仕事のときも体力を維持することができます。
 私は、変わりなく元気です。でも精神的に弱っているせいか、よく頭痛がしたり疲れやすかったりと気分が悪くなります。でもすぐに回復すると思います。
 今ベトナムは夏です。夏でもにわか雨が降りその後に肌を焼くような暑さと強い日が差します。私はこの夏、みすぼらしい菅笠の上に熱々の焼きバナナ、焼き芋をのせて叫びながら売り歩かなくてはなりません。「焼きバナナ、焼き芋だよー!」
 私は時折、自分の物売りの声を誇らしく思います。その声が労働する人々の疲労を消すかのようだからです。彼らは自分たちだけではなく、日差しに耐え、雨に耐えながら翌年の学費を稼ぐために物売りをしている、自分たちと同じ思いをしている人間がいることを知るからです。その呼び声と熱々のバナナや芋は、一杯の昼ご飯や他の食べ物を買うお金のない運転手たちの空腹を和らげます。そのことは、私をより一層努力させ、物売りするときの日差しや雨をいとわなくさせます。
 ベトナムには今もなお、死を免れたばかりのいたわるべきかわいそうな人々がいます。台風が一体どれほどの父を、夫を、子どもを、きょうだいを奪い、痛ましい悲哀の泣き声を残していったことでしょう。私は心の中の叫び声が聞こえるかのようです。本当に残された人々はつらく悲しいでしょう。一家の大黒柱が永遠にいなくなってしまったら、生死が分からなくなったら? 幸福がどこにあるのかすら分からないことや、はかない命がもみ消されてしまった苦しみなど、考えもしなかったことでしょう。
 私も本当にお気の毒だと思いますが、自分の家族が経済的に非常に困っているときにどのように彼らを助けられるのか分かりません。私は、自分がそのような方たちのことを本当に心から悼むことがとても大切なことではないかと思います。
 そして、私のそばには遠い日本の国から常に私を自分の子どものように愛し目を掛けてくださる里親さまがいらしてくださって、本当に幸福です。桜の花咲く国にいらっしゃる里親さまのことを誇りに思うだけでなく青葉奨学会の先生方のことも誇りに思っています。

(Nguyen Thi Thuy Lieu)

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夢はキャビンアテンダント

グエン・ティ・カム・ヴァン

 校庭の火炎樹の花が真っ赤に咲き誇り、また夏がやってきたことを告げています。1学年が再び終わろうとしています。今日、季節の初めの雨の後、空気が澄みわたり心地よくなりました。
 里親さまにあててこの手紙を書こうと、私は自分の机に腰掛けています。手紙の始めに何より知りたいのは里親さまがお元気かどうかです。里親さまのお手紙を手に取ったとき、とても遠いところから送られてきた何かとても神聖な気持ちを感じて、それは私をとても幸福で晴れやかな気持ちにさせました! それだけではなく、それは私がずっと今まで感じていた悩みや苦しみやさまざまな障害をすっかり追い払ってくれました。
 私は今年、中学校の白いシャツと青いズボンはもう着ずに、女子高生の制服であるアオザイを着るようになりました。私も以前から比べると成長して少しは立派に見えるようになりました。
 私の家族は今もなお、貧しい労働者の集落に暮らしています。私の母は私が誕生する前から左足が悪く、このところ体は大変弱っていて歩くことも不自由しています。しかしだからと言って母が気ままに暮らしているわけではありません。来る日も来る日も母は律儀に物売りに出掛け、疲れているときも休もうとしません。母は、少しでも稼げばそれだけお金が助かるから、と言います。私にとって母は生きる源です。
 母は家族のためにとても犠牲になっています。私の父は、私が4年生のとき交通事故に遭いました。今も生きていますが、以前のように重労働はできなくなってしまいました。私は将来、大学に進学し留学してその後キャビンアテンダントになることを夢見ています。
 私は以前、自分は不幸な子どもだと思っていてそのことをずっと悩み続けていました。でもしかし里親さまと先生方の心からの愛情と援助をいただくことができて、私はとても幸福でうれしく感じています。
 私は里親さまがお仕事をされている方で、常に多忙で休む間もないことを知っています。でも里親さまご健康には気をつけてくださいね、頑張りすぎないでくださいね。
 それから、里親さまがご自分でお書きになった私の家族への手紙ですが、私は大好きです。私の母は時々、それを出してきては読み返し、里親さまの書かれた文字のことをすごくほめています。
 今年の夏、里親さまのご生活は何か変化がありましたか? 私自身は少し変化がありました。今年の夏は随分違っています。11年生の準備で勉強もより多忙になり、私の住んでいる場所での活動もあります。疲れるし、休息する時間もあまりありませんが、でもとてもたくさんのことができて本当に楽しいです。
 今年私はまた職業訓練に行きます。高校の卒業試験のとき加点される準備のためです。今年は手芸を選択せずパソコンを選択しました。先生がおっしゃるには、この研修プログラムを終了するだけで私たちは実務経理担当者になることができるそうです。この8月上旬には職業訓練の試験があり11年生の準備のための夏期講習があります。つまり緊張に満ち多忙な1年がすぐまた始まるわけです。
 手紙が長くなりましたので、筆を置かせていただきます。手紙の最後に里親さまのご健康をお祈り申し上げます。

(Nguyen Thi Cam Van)

*   *   *

父と母の満ち足りた微笑みのために

ダオ・ティ・ヘ

 里親さまのご援助をいただくようになってから、今日に至るまで勉強をすることができるようになりました。今年私は12年生に進級し、勉強に割く時間が大変多くなりました。時間のあるときは両親を助けて家事を手伝ったり、私たちの地方の伝統的手工芸である織物を手伝います。
 私の両親は農民なので、お金を稼ぐために日雇い仕事に行かなくてはならないことも多々あります。夜帰宅した後も織物をしなくてはなりません。このように真面目に働いても生活はなお苦しいです。
 私の一番上の兄は家族を助けるために働き、二番目の兄は大学3年です。ですから私の家族全体があらゆる消費活動において大変倹約しています。私の兄が今日まで勉強できるのもさまざまな方々のご援助によるものです。私の兄は家を離れて勉強しているのでどんどんお金がかかります。しかしながら、私の両親は私に繰り返しこう言います。
「うちの家族はまだ本当に恵まれているよ。お前は里親さまにご関心を寄せていただき援助していただいている。だからお父さんとお母さんは随分助かっているんだ。お父さんとお母さんはほんと満足だよ」
 満ち足りた微笑は、人生を愛する、私を生んでくれた人々の真面目で働きずくめのほおにいつも宿っています。
 私は毎日、自転車で2往復しなくてはなりません。昼休みに学校に残ってお金を無駄遣いしないよう、私は自転車をこいで家に帰ります。昼食代を学用品の購入にかなり使い、残ったときには参考書を買います。
 私たちのような貧しい生徒たちにとっては学校へ行くために野菜しか食べられなくてもそれでいいのです。今日に至るまでずっと、私はあふれるような喜びと幸福を感じてきました。里親さま本当にどうもありがとうございました!
 家族の経済的困難が減ったらいいなあと思い、おかゆをすする毎日ではなくなるように両親の苦労が少なくなったらいいなあと願っています。私はもうすぐ12年生に進級するので、私にとって今重要なことは自分に適した学校を選択しなくてはならないことです。私は自分の適性と能力に合った職業に就きたいと思っているだけなのです。仕事を愛する気持ちがあって初めて働くことができると思います。
 里親さまの良いお心は本当に大きいですね! 私は里親さまのご関心に見合うよう良い成績を取る努力をすることをお約束いたします。

(Dao Thi He)


■2007年青葉奨学生審査開始

 ベトナムの学校は9月から、新学年が始まります。今年も青葉奨学生の継続と新規の申請受付が始まりました。
 青葉奨学生申請は各地の学校単位に行われます。申請書には家族構成や両親の職業、収入金額等を書き、学校の先生に提出されます。学校では、学生の前年の成績を記入し、学校内審査が行われます。
奨学生の人数には制限がありますので、最も適した学生が選ばれ学校推薦が得られます。申請書は各地域の奨学会や育英会で調整が行われ、青葉奨学会に送られます。
 青葉奨学会では、ベトナム全土から届く申請書から、最終審査を厳粛に行います。
 2006年に学校をめでたく卒業した学生、学校推薦が得られなかった学生、家庭の経済が好転した学生などは、継続して奨学金を受け取ることができません。
 ベトナム子ども基金は2007年、400名の青葉奨学生を受け入れることになりました。子ども基金には、めでたく青葉奨学会の最終審査に合格した400名の学生名と履歴票が届きます。奨学金を継続して受け取る学生の里親は変わりませんが、新規奨学生は新たに里親との組み合せが行われます。
 2007年青葉奨学生には、里親の名前が記入された決定通知書が届けられます。


■2007年学校建設基金募集

 農村、漁村、山間部では教室が大変不足しています。
 毎日10km歩いて通学している小学生や物置のような狭い教室で勉強している小学生がいます。
 2006年は、ロンアン(Long An)省ドックホア(Duc Hoa)郡フータィン(Huu Thanh)村フータィン小学校建設を会員の松原好直様・美知子ご夫妻、ドンナイ(Dong Nai)省ヴィンクウ(Vinh Cuu)郡フリー(Phu Ly)村第2分校バウフン(Bau Phung)小学校建設を会員の塩谷隆様のご支援で実現できました。
 おかげさまで子ども基金ならび会員皆さまのご支援で現在まで8つの学校が寄贈できました。
 2007年会員皆さまの温かいご支援を賜り小学校寄贈が実現できますことをお願いいたします。


■ベトナム子ども基金ロゴ策定

 ベトナム子ども基金はこのほど、ロゴを策定しました(下図)。会員の吉原とも子さんによるデザインです。今後、本通信やホームページなどで使用していきます。(編集部)


黄梅基金学校建設予定地視察

飯 田 博 康

1.ロンアン省ドックホア郡フータィン村フータィン小学校
 フータィン村はホーチミン(HCM)市から西北へ車で約1時間50分。この村は強酸性土壌の農地が多く、大変貧しい。
 村人の年間平均収入は約500万ドン(約3万7000円)で、家族5〜6人が生活する。
 現在の小学校は540名、19クラスの学生が勉強している。学生の中には6km歩いて通学し、毎年洪水で2カ月間は学校へ行けない状況の子もいる。
 ドックホア(Duc Hoa)郡は洪水対策が目的で住宅分譲地を造成した。この一画にフータィン小学校建設予定地が用意されている。建設予定地は洪水対策ができ、2つの村の中心に位置し、学生の通学には大変便利である。建設予定地は横100m縦50mですでに整地されている。

2.ドンナイ省ヴィンクウ郡フリー村第2分校バウフン小学校
 ヴィンクウ村はHCM市から国道1号線と767号線を北東へ車で約2時間30分の新しい村。
 村の産業はタピオカ、木材、漁業で安定収入がない。1日平均収入は2万ドン(約150円)で、現在300世帯が生活している。
 校舎は1992年に3教室6クラス分が建設された。学生は7〜12kmを歩いて通学している。4教室と職員室、トイレ、手洗い場を増築希望。横50m縦45mの増築用地が確保されている。

(2006年7月21日、ベトナム子ども基金事務局長・いいだ ひろやす)


■ホアロイ小学校に附帯設備完成

飯 田 博 康

 ベトナム子ども基金は2005年、学校建設黄梅基金により、ベンチェー(Ben Tre)省ホアロイ(Hoa Loi)小学校に3教室の新しい校舎を寄贈しました(通信34、35号に関連記事)。
 しかし、予算の関係で水道やトイレなどの附帯設備を造ることができませんでした。
 2006年附帯設備資金として、今井記念海外協力基金の助成金を申請した結果、40万円が支給されました。さらに会員の佐藤郁夫様から10万円の支援をいただき、総額50万円で附帯設備工事を実施することになりました。
 早速、ベトナム青葉奨学会と現地建設会社の協力で工事を着工することができました。おかげさまで、予定どおり工事が進み、無事新しい設備が完成しました。
 ご協力いただいた、今井記念海外協力基金と佐藤郁夫様に厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 ホアロイ小学校の生徒129名は新しい教室とトイレ、手洗いが完備し、健康で楽しい学生生活が送れることと期待しております。


完成したトイレと水タンク(奥)


青葉奨学会スタッフ(右端)が附帯設備の完成検査を行いました。
ホアロイ小学校の教員と村の人々とともに

(いいだ ひろやす)


■事務局便り

 9月の運営委員会は、ベトナム子ども基金が受け持つ2007年青葉奨学生を400名に決定しました。会員皆さまのご支援で07年青葉奨学生が安心して学業に精進できますことを願っています。  青葉奨学生は9月から、進級や進学をしています。07年の奨学生申請手続きが始まりました。厳選な審査で奨学生の継続や新規奨学生が決定されます。07年の里子(奨学生)が決定しましたら里親の皆さまにご報告いたします。
 子ども基金ホームページ(HP)のリニューアルを準備しています。HPは、会員の皆さまをはじめ多くの方々に子ども基金の活動やベトナムの子どもたちの様子を分かりやすくお伝えし、ご理解とご協力をいただくためのものです。新しいHPが完成しましたらお知らせいたします。楽しみにしていてください。(飯田)


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