「ベトナム子ども基金通信No.33」より

1.元青葉奨学生2人がスピーチ
2.2005年ベトナム子ども基金定期会員総会記録
3.後継者の育成
4.グエン・ティ・ミー・リエンさんを囲む会
5.元青葉奨学生からの手紙
6.里子からの手紙
7.ベトナム3都市を青葉奨学生が体験
8.ビンフオック省チューバンアン中学校視察報告
9.里親からの声
10.事務局便り


元青葉奨学生2人がスピーチ
子ども基金総会で留学生活を語る

 ベトナム子ども基金は6月18日、定期会員総会を開催(4ページ参照)、ゲストスピーカーとして元ベトナム青葉奨学会奨学生で日本に留学中のグエン・コック・カンさんとダン・バー・コイさんを招き、「日本留学生活の課題」をテーマに話を聞きました。カンさんは、勉強とアルバイトに明け暮れた日本語学校時代のつらい経験を乗り越えたことが自身の成長につながったと述べました。コイさんは、家族と離れて生活したことで「家族の絆」という意味が分かったと語りました。

■何があっても勉強が第一

グエン・コック・カン

 私の里親は黒羽宏さんです。1997年から2001年まで支援していただきました。黒羽さんにお会いするのは4回目で、年1回しか会えませんが、現在も黒羽さんから励ましをいただいています。
 日本での留学生活は、苦しいこともあれば、楽しいこともあります。来日して4年になりますが、最初の2年は忘れることができません。勉強とアルバイトだけの毎日で、夕暮れから夜明けまでアルバイトをしたこともあります。この経験でだいぶ成長したと思います。
 現在の学生生活は忙しいですが、いろいろな勉強ができて幸せです。部活動や留学生会にも参加し、自分のネットワークが広がりました。それは黒羽さんをはじめ、ホゥエ先生や青葉奨学会の皆さまのおかげです。本当に心から感謝しています。これからも知識を蓄えるとともに体も鍛えて、将来ベトナムで活躍できるように頑張りたいと思います。
 日本語学校時代の2年間は毎日、朝7時に起き、少し学校の勉強を復習してから学校に行きます。学校の授業は12時半まででしたから、その後、アルバイト先の寿司屋で4時間働き、次にまたラーメン屋で4時間働いていました。家に帰るのは午前1時半くらいでした。とても疲れていますから、少ししか勉強することができませんでした。当時はほとんどアルバイトで勉強する時間はなかなかできませんでした。お金に悩みながら、大学入学のことも考え、とてもストレスを感じました。何度も泣いたことがあります。
 しかし、希望の大学に入ることができ、本当にうれしかったです。
 大学では、午前9時から午後6時までのとても長い時間授業を受け、授業がないときは図書館に行きます。部活は体操部で、私の体は小さいですが、とても力がつきました。この2、3週間は中間テスト期間中ですから、少しやせたかもしれません。
 生活はとにかく楽しいです。いろんな友達ができて、いい出会いもあります。アルバイトもしています。日本語学校時代ほど多くはありませんが、生活費や学費を稼いでいます。
 病気になったことはありません。風邪をひいた程度です。日本の気候はよく、空気も水もおいしいです。大学が大阪なので、当初、大阪弁に困ったことがありますが、今はだいぶ慣れました。
 日本の学生は、半分くらいは一生懸命勉強していて、残りの半分はいろいろなことをしながら勉強しているようです。
 日本人はとてもフレンドリーで優しいのですが、嫌なことは「外国人」と言われることで、アルバイトを探すのが大変なこともあります。
 後輩たちに伝えたいのは、何をしても勉強を第一に優先してほしい。日本に来てお金の魅力に負けて、アルバイトばかりで勉強せず、大学に入れなかったら、日本に来た意味が全然ないと思います。
 卒業できたら、大学院に行きたいです。大学院の2年間を終えたら、日本で就職し、3〜5年は日本の企業の技術や経験を習得し、それをベトナムに帰って生かしたいです。帰国したら自分で会社を作りたいと思います。まだ、決めていませんが、食品か化粧品の会社を作りたいです。食品会社の方がベトナムの社会には重要かもしれません。
 最後になりますが、皆さまのご健康とご多幸をお祈り申しあげます。

(Nguyen Quoc Khanh・大阪大学2年)

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■チャンスを生かす

ダン・バー・コイ

 1995年から99年、中学3年から高校3年まで青葉奨学金をいただいていました。私の里親は、勝見さんです。
 私は中部のダナン出身ですが、父親の仕事でホーチミン(HCM)市に引っ越し、日本に来るまでの約16年間、HCM市に住んでいました。高校3年のとき、青葉奨学金を受け取りに行ったドンズー日本語学校で日本留学の募集を見つけました。
 日本留学には高額の費用がかかりますが、問い合わせたら貧乏な学生のための募集だと分かりました。将来国の役に立つために留学して、高度な技術を身につけたいという夢を実現するチャンス、自分の力を試すチャンスだと思って応募しました。
 もうひとつの理由は、4年間ずっと奨学金を支援してくださった方に会い、直接お礼を言いたかったためです。その後、ホゥエ先生の面接を受け、朝日奨学生として日本に来ました。朝日奨学生は、朝日新聞の販売店で2年間、新聞配達しながら日本語学校に通い、学費は朝日奨学会に払ってもらいます。
 この2年間に達成しなくてはならない目標は3つありました。
 ひとつは、もちろん日本語をマスターすることです。日本語ができないと生活も不自由で、日本の文化を理解することもできません。毎日テレビを見たり、新聞を読んだり、新聞販売店の人と会話したり、学校で勉強しているうちに、だんだん会話も読み書きもできるようになりました。
 もうひとつの目標は、国立大学に入ることです。そのためには日本語能力試験1級に合格しなくてはなりません。なぜ国立大学かというと学費が安いからです。先輩からもらった本で必死に受験勉強しました。数学、化学、物理、日本語、それから英語の5科目です。寝る時間は1日5時間です。5時間以上寝る人は大学に受からない、と先輩は冗談気味に話していましたが、本当でした。時間があるようで、ありませんでした。体が疲れて、勉強しようと思っても頭が働かないこともありました。また、最初の冬は雪で転び、手首の靱帯(じんたい)をひねってしまいました。家族にはそのことを知らせませんでした。心配かけたくなかったからです。
 新聞配達は肉体労働のつらさだけでなく、精神的なつらさもありました。これまで1回だけ泣いたことがあります。日本に来て10日目のことでした。家族の写真を見たら自然に涙が出てきました。絶対に泣かないという約束を破りました。そのときは、家族に会いたくて仕方ありませんでした。「家族の絆」という意味も分かるようになりました。
 第3の目標は、お金をためることです。国立大学とはいえ、入学に60万円は必要でした。日本に来る前に家族の援助はないと覚悟しましたから、欲しい物があっても我慢するしかありません。どんなにつらくても、自分で乗り越えて、自分の成長を見せて、親と里親を安心させたい気持ちも力になりました。頑張りに頑張った結果、日本語能力検定試験1級も合格し、東京農工大学と埼玉大学に合格しました。自分はもちろん家族も喜びました。
 学生生活での一番大きな課題は、学費と生活費をどう稼ぐかということです。最低でも1カ月15万円が必要です。勉強が好きでも生活を成り立たせなくてはなりません。いい成績でも、奨学金はもらえたりもらえなかったりするものです。いい成績をとっても、学費が減免されるわけではありません。アルバイトと勉強に時間をどう使うかがとても重要です。
 しかし、どんなにつらくても大学だけは絶対に卒業したいです。私の父はベトナム戦争で大学を中退しました。勉強したくてもできなかった自分の分まで頑張ってほしいという父の気持ちに報いることができるからです。
 現在、私の研究テーマは燃料電池についてです。アルバイトはラーメン屋で週2日、1日5時間働いています。また、同じ研究室の先輩で博士課程の方が立ち上げたベンチャーで手伝いをしています。研究とアルバイトで忙しいですが、研究室にはいろいろな国の留学生もおり、国際交流も楽しんでいます。
 私の夢は金持ちになって、社会貢献をすることです。貧しい学生たち、特に子どもたちに奨学金を支給して学校に行かせます。子どもは将来の社会を築くからです。それから、ベトナム戦争中、アメリカが散布した枯れ葉剤のせいで、子どもが重病にかかっているのに手術の費用が用意できない人、また、新潟中越地震の被害に遭ったような人に寄付をしたいと思っています。
 この場を借りて、青葉奨学生に代わって深くお礼申しあげます。皆さまのおかげで子どもたちが学校に通うことができます。来日して6年目ですが、何も手伝えなく恥ずかしく思います。今すぐできることは皆さまに一人でも多くの子どもに援助していただけるようお願いすることだけです。よろしくお願いいたします。

(Dang Ba Khoi・東京農工大学4年)


■2005年ベトナム子ども基金定期会員総会記録

 ベトナム子ども基金は6月18日、2005年定期会員総会をアジア文化会館で開催し、34人の会員が出席した。議事に先立ち、議長に塩谷隆さんを、書記に今井幸恵さんを選出した。
 総会では、飯田事務局長が「2004年活動報告」「2004年決算報告」「2005年活動計画案」「2005年予算案」(通信32号参照)の4議案をそれぞれ説明し、塩谷議長から諮った結果、これらを承認した。
 続いて、飯田事務局長から第6期運営委員選出の提案があり、塩谷議長から諮った結果、これを了承した。第6期運営員は以下の16人。
 飯田康博、今井幸恵、岡村進、小河原理枝、小沢玲子、窪寺裕子、近藤昇、土井敏邦、中村伸、中原和夫、原二郎、藤田政弘、本間きく、丸山明美、南康雄、望月良憲(50音順。いずれも再任。任期は05年6月から07年6月までの2年)
 議事終了後、日本に留学中のグエン・コック・カンさんとダン・バー・コイさんの2人が「日本留学生活の課題」をテーマにスピーチを行った(1ページ参照)。
 また、来日中の青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表も総会に出席し、概略5ページのとおり報告した

カット:かいせまうし


■後継者の育成

グエン・ドク・ホゥエ

 青葉奨学会の今後についてお話しします。2005年の奨学生の数は、1076名です。昨年より少し減りました。その代わり黄梅基金が増えました。農村など都市から遠いところ、奨学金が届いていないところに支給します。大変貧しいところでは、とても喜ばれています。黄梅基金は年1回15万ドンです。日本円では約1000円ですが、学生には大変励みになります。方向性としては黄梅を増やした方がよさそうです。
 都市や町の子どもの奨学生数が減るのは仕方がありません。子ども基金の支援が減少傾向にあることは理解していますから、町を減らして農村など貧しいところに奨学金を配ることが必要だと思います。
 青葉奨学会は軌道に乗っています。これからは、若い年代に事務局を担ってほしいと願っています。従来は日本人スタッフに任せていたところが大きいですが、今後、若いベトナム人スタッフも主導的に動いていくでしょう。グエン・ティ・ミー・リエン(Nguyen Thi My Lien)さんはまだ日本語は不十分ですが、人柄もよく、事務局のドイモイ(刷新)が期待できます。
 今毎日充実していますが、年齢の限界は感じています。今は後継者を固めておきたい。青葉も学校建設も大事だし、日本語学校が私の人生の事業だと思われているが、留学生にすべてを投資している。日本語学校がないと留学生を送れないし、皆さんにも会えなかった。だが、留学生を送り出し、育てることが私の人生の事業です。
 私の生まれた時期と地域により、私には活躍する場がない。だから、私のやろうとしたことを、次の世代に託すこと。現在まで留学生300人を送り出しました。それは私の宝です。
 皆さまに応援していただいたことは感謝しています。10年前にABKで子ども基金を作ってくださいました。また学校建設も4校になります。黄梅基金もできました。10年前には想像もつきませんでした。皆さんにお会いして、ベトナムの子どものことを考えてくださることを本当にうれしく思います。

(Nguyen Duc Hoe)


グエン・ティ・ミー・リエンさんを囲む会

 ベトナム青葉奨学会専任スタッフのミー・リエンさん(写真)は10月3日から12月26日まで日本で研修を受けます。この機会にベトナム子ども基金会員の皆さまとの交流を希望されております。つきましては、以下のとおり「ミー・リエンさんを囲む会」を開催します。皆さまのご参加をお待ちしております。

第1回
日時 11月26日(土)午後2時から5時
場所 アジア文化会館内 教室
会費 500円

第2回
日時 12月24日(土)午後2時から5時
場所 アジア文化会館内 教室
会費 500円


■元青葉奨学生からの手紙

 4月末に発行した本通信「10周年特集号」で紹介しきれなかった元ベトナム青葉奨学生からの手紙を掲載します(編集部)。

新しい環境に挑戦

ファム・ズイ・トゥアン

 青葉奨学金の支給が決定してから6年が過ぎました。長い時間ではありませんが、短くもありません。中学、高校時代のすべての時間を占めていましたから、私は肉体的にも精神的にも成長しました。最初は7年生でしたが、今は大学生です。過ぎ去った時間を振り返ると、うれしかったこと、寂しかったことがよみがえってきます。
 うれしかったことは、私に生きる力を加え、発憤させる強壮剤のような「青葉奨学金」をいただけたことです。この奨学金で何をするか考えました。どうするのがふさわしいのか。その答えは里親さま、先生方、両親を裏切らないよう、一生懸命勉強することでした。今振り返ると「奨学金」は私たち家族の一番苦しいときに私の命を救ってくれたのだと感じます。
 そして今、私は新しい環境で勉強する道を選びました。ドンズー日本語学校から留学する道です。もうすぐ、故郷や家族、先生、友達から離れます。新しい生活、新しい道、新しい試練が私の前にあります。
 力の限り頑張り、一生懸命勉強し、すべての人と仲良くやっていくことを誓います。これからの道のりを進んでいく糧は、先生方が私に教えてくださったこと、青葉奨学会の博愛です。私はいつも心の中に記していきます。

(Pham Duy Tuan)

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青葉は成功を受け取る場

トラン・ティエン・タイン・チャン

 卒業証書を手に、不安と感動を抑えることができません。未だ望むような結果を得ることはできませんが、すでに人生の糧を得ることができました。
 幼いころ祖母から、仙女がいつも貧しい子どもを助けてくれたという昔話を聞いたことを思い出します。私たちはその幸運な子どもたちなのではないでしょうか。違うのは、お話の中の仙女は青葉奨学会を作り、袋小路のような困難の中にいる私たちに手を差し伸べる、大きな愛を持った人間だということです。
 青葉奨学会から、何人かは日本を訪ねることができました。これは、私たちのような貧しい学生には決して起こることではありません。それに、青葉奨学会では私たちは奨学金を受けるだけでなく、似た境遇にある他の学生たちや、遠く日本からベトナムに来てくださった里親の方々と交流したり遊んだりする機会を与えてくれます。
 ベトナムは発展途上国で、経済的に困難です。特にアルバイトをしても、学費が不足している学生には大変です。そんな困難なときに、里親さまは広い心、無限の愛を私たちにくださいました。青葉奨学会のひとつ屋根の下にいるすべての子どもたちはその温かさを受けるとともに、青葉奨学会の先生方の熱意も受け取りました。私自身は奨学金だけでなく、遠くにいるお父さんのような愛情を感じることができました。ご高齢ですが、ためらわず遠くから私を訪ねて来てくださり、私が美しい日本を訪問する機会さえ作ってくださいました。
 子ども基金の皆さまも、私の滞在中、楽しく快適に過ごせるよう、いろいろな条件を整えてくださいました。私たちにとって、青葉奨学金をいただくことは、お金の問題だけでなく、精神的な大きな励ましなのです。
 考えれば考えるほど、私自身の、そしてすべての学生たちの青葉奨学会に対する感謝の気持ちをどう表したらいいのか分かりません。私は、青葉奨学会のために計り知れないほどの力を使ったホゥエ先生にたくさんお礼を申し上げたいです。ボランティアの先生方にもお礼を申し上げたいです。私たちは、先生方が私たちの世話をするためにたくさん仕事をしてくださったことを知っているからです。
 小中高から大学に至るまで、奨学金だけでなく精神的に助けてくださった2番目の両親のような子ども基金の皆さまに心からお礼を申し上げます。皆さまが私たちを見守ってくださっていたことを、どうして私たちは忘れることができるでしょうか。記憶の中に深く刻まれています。
 私は今や、昔のような幼い生徒ではありません。多忙な生活に踏み込まなければなりません。私を助けてくれた青葉奨学会を今も思います。いつか仕事がうまくいったら、青葉奨学会や子ども基金を創設した恩人の皆さまに感謝を表すため、皆さまの希望を裏切らないよう、青葉奨学会に戻らせていただき、青葉がますます大きくなるために貢献させていただきます。これは私一人の考えではなく、これまで、また現在、奨学金をいただいているすべての学生たちが考えていることだと思います。それは、こここそが青葉ファミリーの子どもたちに成功を与える場所だからです。

(Tran Thien Thanh Trang)


■里子からの手紙

里親さまはどんな方?

グエン・ティ・トゥ・アン

 早いもので1学年が終わってしまいました。10年生の準備をしていた日々を思い出します。でも今はその学年もすでに終わってしまいました。
 里親さま、最近もお変わりなくお元気でいらっしゃいますか。お仕事も以前と同様順調でしょうか。ご家族も皆お元気でいらっしゃいますか。
 こちらは雨や日照りなど、とても変な天候が続いています。東京はいかがですか。ご健康に気をつけてください。きっと里親さまは用心深い方だと思います。何故なら、初めて私にくださったお手紙が本当に豊かな内容だったからです。私のあらゆる面を気遣っていただきました。私の勉強から考え方、私の家族に至るまでです。一度もお目にかかったことがないにもかかわらず、私は自分の里親さまがどのような方なのかすっかりイメージしてしまいました。里親さまお知りになりたいですか?
 機会がありましたら、一度ベトナムを見にいらしてください。私たちの国は貧しいですがたくさんの風光明美な場所があります。またベトナムの人、特に私の地方の人間はとても正直で温かいです。私の家に遊びにいらしてくださいね。
 里親さまと私がお手紙を通して知り合ってもう5年になります。私が6年生になったときから現在の10年生に至るまでです。そして5年間にわたって私は里親さまの恩義を受け取らせていただきました。私はこのことを思い返すと本当に感動します。
 私はベトナムに住んでいて、まったく普通の無名の一人の子どもにすぎないのに、青葉奨学金を受け取ることができたのです。そしてそのことによって私には遠く離れた日本に一人の里親さまができました。すべてが夢のようです。
 今年の10年生では「優秀な生徒」にしかなれませんでした。前期は7.0点でしたが、後期は7.6点を取りました。学年通期では7.4点です。大変悲しいです。この手紙を書いているとさらに悲しくなります。筆を取ってみたものの恥ずかしさでいっぱいです。私はもっと頑張ることをお約束します。でも実際のところ、高校の勉強はプレッシャーがとてもきついのです。私は本当は悩んでいます。あら、また愚痴を言ってしまいました。里親さまごめんなさい。
 さて、手紙も長くなりましたので筆を置かせていただきます。里親さまお元気で、楽しくお過ごしくださいね。私の家族全員も里親さまのご家族のご健康をお祈りしております。

(Nguyen Thi Thu An)

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きらきら輝く幾千の星

レ・ティ・フォン・タイン

 私の家の庭先にある火焔樹の木々が花を咲かせ始めました。可愛らしいつぼみたちが次第に美しく鮮やかに花開いていきます。でもせみの群れがいないと何か足りない気がします。せみの鳴き声があたり一面に鳴り響くと本当に素晴らしいです。夏がやってきました。
 里親さま、私に思いがけずもたらされたひとつの喜びは、私の成績でした。学年末に私は賞品とともに「非常に優秀な生徒」の名誉を得ることができました。私が今日のような結果を得ることができましたのも、里親さまが常に私たちに絶対的な信頼とともに精一杯の優しさをくださったおかげです。しかし、もうひとつの喜びは私にとっては本当に大きくて、神経を使い頭を酷使し肉体的にも疲労した日々の後で私を解放させてくれるには十分のものでした。
 それは私の卒業試験の結果です。私はかなり良い成績(54点)で合格したのです。この結果に、私は遠い日々を思うと涙を禁じえません。時間を後戻りさせてもう一度やり直せるなら、私は里親さまの大きなご援助の数々に対して何千の感謝の言葉を送ることでしょう。
 私の家の経済状態は私が通学することを許さなくなり、学校や先生方、友達と別れなくてはならないのは、今日明日かも分からず、学校へ行っても上の空でした。
 母が私に告げました。「タインや、うちは貧しくてお前を学校にやることができないから、学校を辞めてお母さんを助けて弟の面倒を見なくてはならないよ。悲しがるんじゃないよ。いつかお母さんの物売りがもう少しうまくいったら、また学校へ行かせてあげるから」。
 私の心はその痛ましい逆境に絞られるような痛みを感じ、幼い心臓はうめきを上げました。もう終わりだ、私の運命は永遠にぼんやりと砂や塵にまぎれて埋まってしまうのかしら。私はそのころ、とても苦しくてとても困っていて助けをとても必要としていました。
 ところが私の運命は里親さまの大きな博愛のお気持ちによって変わることができたのです。毎月くださるとても大きなお金によって里親さまは私を助けてくださいました。それらの資金は私の生活を大きく助けてくれました。私が学校へ通い続けることができたのみならず、ノートや筆記用具など多くの学用品を購入することもできるようになりました。里親さまのご援助は、私が勉強をやめることなく成長していくことを後押ししてくれる力でもありました。
 里親さまが私に下さった真心は本当に気高く美しいものです。まるで広々とした夜空の上に不滅の地位を保ちながら常にきらきらと輝く幾千の星のようです。現在、私は学校の机に向かっています。里親さまが私にくださった心からのご援助に恥ずかしくないように、勉強でさらに頑張り、家でも社会でも常に良い子、良い生徒であることをお約束いたします。

(Le Thi Phuong Thanh)

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また読みたい里親さまのお話

ディン・ティ・ドアン

 私は里親さまからのお手紙を受け取りましたが、突然で大変びっくりしました。それはずっと前から長いこと願っていたことでした。今まで私は、里親さまはお忙しくて私に手紙を書く時間なんかないんだろうと思っていました。お手紙をいただいて私はとても幸せな気持ちです。お手紙を繰り返し眺め返しては、まるで夢を見ているような気持ちがしています。里親さまが私に大変ご関心をお持ちくださり、お手紙を書いてくださったと知って、私の家族みんなも大変感動しています。もし里親さまにお目にかかれたら、里親さまのところまですぐに走っていって里親さまに抱きついてしまうでしょう。ほんとにすごくすごくうれしいだろうな。
 里親さまのお話、とても気に入りました。私もそんなふうに雪の像を作ってみたいです。でも私の故郷には雪がありません。今はもう夏で38〜39℃になる日もあります。チャン・ダン・コア(Tran Dang Khoa)はぎらぎら照りつける日差しのことをこんなふうに書いています。「6月の昼下がり  水は誰かが煮立てたようだ 魚もみんな死んじゃった カニも岸辺に這(は)い上がる 私の母は田を耕す」。
 日差しが厳しく暑くて、誰も外に出たがらず、一日中扇風機を回しています。でも早朝と夕暮れどきは空気がとても涼しくさわやかで清々しいです。特に夏の夜は「ビロードのようにやわらかい」星空と涼しい風と不思議なくらい静まり返った空間、 そちらではこの季節にたくさんのお花があるのでしょうか。ベトナムでは夏が来ると火焔樹の花が満開になりとてもきれいです。
 私たちにとって今は試験の季節の始まりでもあります。大学入学のための高校の卒業試験です。これからのことは里親さまを驚かせようと思う出来事です。里親さまは私が書いた前の手紙を受け取られましたよね。多分里親さまは、この手紙で私がまた随分機嫌が良いのに驚かれているのではないかと思います。白状してしまいますね。
 全国「非常に優秀な生徒」試験の結果が正式に発表になり、私は第3位に入賞しました。ということは、卒業試験で「優秀」以上の成績を取るだけで、無試験で大学に入学できるのです。とても思いがけないことですごく幸せです。私は大学に入るために、卒業試験では良い成績を取るよう一生懸命頑張ります。もし無試験で入れたら、この夏は家にいて両親を手伝い収穫や田植えをします。
 私にとって有利だったことは、全国「非常に優秀な生徒」試験国語部門では全般に成績が低調で入賞者がとても少なかったので、3位入賞でも自分の好きな大学(文学部)を1校選び無試験で入学できることが入賞の特典になったことです。
 お暇な時間がもしありましたら、また私にお話を聞かせてくださいね。私は里親さまのお話を伺うのがとても好きです。

(Dinh Thi Doan)


■ベトナム3都市を青葉奨学生が体験

●ホーチミン市

自立と団体行動を学ぶ

グエン・ブイ・ゴック・フエン

 私はロンアン(Long An)省の中学8年生を修了しました。7年生のときから奨学金をいただいています。おかげさまで家族の困難は軽減され、私の勉学の状況も良くなってきました。8年生は学校の選抜クラスで勉強するという栄誉を得ました。
 今日、とても名誉なことに、ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)の名を持つ都市に行き、青葉奨学会の事務所を訪れることができました。これは、これまでずっと望んでいたことですが、夢でしかなかったのです。そして、多くの有名な場所を訪れることができました。歴史、都市の発展、文化的で現代的な生活を知ることができました。また、ヴィンギエム(Vinh Nghiem)寺の威厳のある建物、動植物園で多様な生物を見て、知ることができました。Maximarkスーパーではたくさんの珍しく、魅力的な品々を見ました。特に、スーパーでは友達の多くはエレベーターに乗ることができませんでした。でも、どうってことありません! 目新しく、不慣れなだけです。
 もう一つ特別なことは、先生方が熱心にお世話してくださったことです。私たちは温かく感じました。この旅で、家族や、親しい人たちから遠く離れ、私たちは自立と団体行動を学びました。そしてもう一つ大切なことは、積極的に、熱心に私たちをお世話してくれた、大学生のお兄さん、お姉さんたちと交流できたことです。
 今日のような楽しく、興味深い旅をさせてくださった、青葉奨学会にお礼を申し上げます。私たち、そしてそのほかの学生たちが、また、このような面白いこと、新しいことを学ぶ旅に行けることを望んでいます。貧しく、困難な学生たちを助けるために役に立つ人間になるために、一生懸命勉強することをお約束します。

(Nguyen Bui Ngoc Huyen)

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もっと多くの友達と交流したい

グエン・ティ・アィン・ダオ

 私はベンチェー(Ben Tre)省の高校11年生です。この学年では、優秀な学生に称され、クラスで1番になりました。次の学年もいい成績を残せるよう一生懸命頑張ります。
 私は3年生のときから奨学金をいただいています。私はとてもうれしいです。私の家族は両親と、今年3歳になる弟の4人です。経済的にとても困難で、家族の生活は母の収入に頼っています。 
 ホーチミン(HCM)市を観光し、ロンアン、ドンタップ(Dong Thap)両省の学生と交流すると聞いたとき、とても幸せでした。今日、ドンズー日本語学校、動物園、Maximarkスーパーに行き、夜はベンタイン市場に行きました。HCM市は私の故郷とは全然違います。車が騒々しく、高層ビルがひしめき合い、明かりもたくさんあります。私の故郷は、草ぶきの家ばかり、家と家も100メートルに1軒あるくらいです。
 あしたは統一会堂に行きます。いつかは統一会堂を訪れたいという夢を持っていましたが、とうとう実現するのです。とてもうれしいです。けれど、この旅はたったの2日間です。またいつか、もっと多くの場所を訪ねること、もっと多くの友達と遊んだり交流できたりすることができればと思います。私の夢は教師になることです。私は教えることがとても好きです。

(Nguyen Thi Anh Dao)

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●ハノイ

初めての首都

チャン・ティ・トゥー・ハー

 私は小学生のときから青葉奨学金をいただき、今は中学の最終学年になりました。優秀な学生になれるよう頑張っています。今学年は、優秀な学生、素行は優良になりました。
 ハノイ(Ha Noi)観光の3日間、ドンズー奨学会、ハノイ奨学会の先生方や、他の学生たちと一緒に過ごすことができ、とても楽しかったです。そして、各大学のお兄さん、お姉さんたちが私たちの首都ハノイ観光のお世話をしてくださいました。私は今回初めて家を離れました。そして、初めてハノイを訪れました。ハノイは本当に美しい名所がたくさんあります。一柱寺、仏塔、文廟などなど。忘れることができません。
 今学年、あまりいい成績を残せませんでしたが、皆さまをがっかりさせないよう一生懸命勉強することをお約束します。

(Tran Thi Thu Ha)

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●ダナン

成功を信じて

レ・ウエン・タオ・ヴィ

 思いがけず、うれしい、これは感動的なものでした。青葉奨学金をいただくようになって5年になります。しかし、夏の合宿に参加するのはこれが初めてです。
 父は病気がちで、家族のことはすべて母の肩にかかっています。小学生のとき、母は夜中まで働いていました。私はとてもかわいそうに思い、ただ早く高校の卒業証書が欲しいと思うだけでした。8年生になったころ、それだけでは恥ずかしくなりました。母の苦労を軽くするためには、絶対にもっと勉強を続けなければなりません。勉強し、働き、これまでの母の苦労に報いなければなりません。けれど、問題は別にあります。精神力、決意にかけては十分だと思いますが、私が向き合わなければならない問題は経済です。
 幸運なことに、私たち母子は最初の恩人というべきハオ(Hao)さんに会いました。ハオさんは私に奨学会に入るように言いました。私の勉強の未来は広がり、明るくなるということでした。
 私はまだ先生方にお礼を言えません。先生方の気持ちにふさわしい人になったとき、お礼の言葉を贈りたいです。必ず自分の夢を実現することができると思います。
 他の学生たちと同じように、私たちがもっとお互いに理解し合えるよう、奨学会がこのような合宿をもっともっと多く行ってくれることを望んでいます。

(Le Uyen Thao Vy)

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一つの家族のように

グエン・ティ・タム・グエン

 昔の人は言いました。出かけるとあれこれ知り、賢くなる。本当だと思います。ドンズー日本語学校と、奨学会の皆さんのご援助のおかげで、私たちは初めて顔を合わせ、交流することができました。この夏合宿に参加できて、本当に幸せです。と同時に先生方やみんなと別れなければならないことが少し残念です。私たちはお互いにとても楽しい思い出を作ることができました。一緒に歌い、話し合いました。このような旅行をさせてくださり感謝しています。
 おかげで、社会のいろいろなことについて見聞を深めることができました。一つの家族のようにお互いに気を配り、助け合いました。私はダナン(Da Nang)のお姉さんたちと知り合うことができました。とても優しくて、住所を教えてこれからも連絡を取り合い、また会おうと約束しました。別れのとき、さよならの言葉を言わなければならないとき、とても寂しかったです。
 誰でも心に夢を抱いていますが、私はあまり壮大な夢は持っていません。来年試験に合格して、将来は人々の病気を治す医者になりたいです。今回のような意義ある旅が、私たちの視野を広げるために定期的に開かれることを願っています。五行山、チャム博物館、ハイバン・トンネル…。
 最後に、ホゥエ先生、青葉奨学会の皆さんのご健康をお祈りします。

(Nguyen Thi Tam Nguyen)


ビンフオック省チューバンアン中学校視察報告

飯 田 博 康

 3月18日(金)午前7時、ホーチミン市を車で出発し、11時30分ビンフオック(Binh Phuoc)省ダックニャウ(Dak Nhau)村に到着した。ダックニャウ村の産業は、ゴムの木、ナッツとコショウの栽培で現金収入は大変少ない。同村にあるチューバンアン(Chu Van An)中学校は、2000年にベトナム子ども基金が建設した学校である。校門では校長のブーン・ズィエム・トゥイー(Vuong Diem Thuy)さんと先生が歓迎してくれた。
 現在、6年生(中学1年生)が300人、7年生(同2年生)200人、8年生(同3年生)が200人と先生が26人いる。高校進学率は70%で、残りは職業訓練校や家の仕事をする。生徒は勉強のほかは家の仕事を手伝う。時間も道具もないので遊ぶ余裕がない。生徒の家庭は農業で、日雇いでゴムの木の植林が主な仕事。日雇いは1日働いて、2万ドン(約145円)の収入という。学費は1年間7万5000ドンで、教科書や文房具は生徒が各自買う。
 校長の悩みは、生徒数が多く教室、机やいすが不足していること、敷地があるので教室を増築したいがお金がなく実現しないことだという。そして、生徒は生活が貧しく、現実を見ることで将来の夢を持てない状況だそうだ。
 日本について知っていることは「おしん」と「桜」だけ。
 5年前に学校を建設してくれた日本のベトナム子ども基金の皆さまに感謝申し上げます、とあらためてお礼のお言葉をいただいた。

(いいだ ひろやす)


■里親からの声

佐々木 善 春

原風景(ベトナムとのかかわり)
 海外旅行を趣味としている私は、特に世界遺産巡りをひとつのテーマとしておりますが、10余年前、カンボジア・アンコールワットに行った帰途、ベトナムに初めて降り立ちました。その折の観光行程でベトナム戦跡の見学があり、むごたらしいアメリカによる空爆の戦禍や難民生活の様子を見聞しました。たちまち、頭によぎったのは、1945年夏以降のわが身に降りかかり、体験したことでした。
 当時、旧満州政府にかかわる父とともに一家7人、吉林省に居住しておりました。
 8月初旬、ソ連軍の進駐、次いで国府軍と八路軍との内戦と続き、一時的に父がシベリア方面へ送られるなど混乱の極みを体験しました。日本への引き上げがかなったのは、翌年の秋となりました。その間、生死の境をさまよったり、種々難儀はしましたが、多くの中国の人々に助けられ、幸運にも一家全員帰国できたのです。

5人の里子との出会い
 多くの人々に助けていただいて、現在の私が生きている。
 恩返しができるものなら、何かしなければと常々考えていました。「中国帰国者の会」には参加していましたが、もうひとつやらねばと思い立ち、早速1995年秋、文京区のベトナム子ども基金を探しあて、代表の近藤さんの助言を受け、即協力開始となった次第。
 現在まで女子中学生・高校生の里子と縁を結び、手紙のやりとりなどをしてまいりました。特に、唯一の男子里子のレ・カン・バン君(Le Khan Bang:通信10周年特集号に手紙掲載)は、純真で成績優秀であって、高校卒業後、大学へ進学したいとの熱望があったことから、現在まで継続してもう10年近く付き合い、地球環境の改善に役立つ人間になるようにと、励ましています。
西へ西へ
 パキスタンに行った折、アフガン国境で望見した難民キャンプ。中東のヨルダン、シリア、レバノン3国を旅したときに散見した、未だに建物に残る銃痕とものものしさ。
 イラク国境周辺での見聞。イスラエル・パレスチナ間に長く続く争いとその双方の被害。などなど見るところ、聞くところ、いつまで続く泥濘ぞと思います。
 いつまでこの地球上の争いが、絶えないのでしょう。
 加えて、インド洋津波という自然災害も襲ってくるという昨今。逆に、水不足・砂漠化のアフリカや中国奥地の異変。関心はどうしても西へ向かうことになります。
日に日に
 『ベトナム子ども基金通信』第1号から第31号までの綴りを眺めていると、生まれ変わったベトナムの若い活力がひしひしと感じられます。この春で、70歳になりました。まだまだ、日々の生活に精出しておりますが、一区切りの10周年記念事業に、黄梅基金の拠出で参画いたします。
 美しい地球の自然と、愛ある人心に幸あれとこいねがう日々です。

(ささき よしはる)


■事務局便り

 2005年会員総会には多数のご参加をいただきありがとうございました。総会返信はがきには「日程の都合が合わず残念ながら欠席します」と書かれる方がいらっしゃいます。そこで今後は毎年5月第3土曜日(06年は5月20日)に行うこととしました。皆さまのご参加をお待ちします。
 ロンアン省とベンチェー省の学校建設は順調に進められています。青葉奨学会ならび工事関係者の方々に感謝申し上げます。9月の新学年からは新しい校舎で勉強する学生の様子が想像できます。学校建設黄梅基金にご協力いただきました光武福見・まち子様、霍田耕ニ郎・小形康善様に感謝申し上げます。新校舎については通信34号でご報告いたします。
 4月から青葉奨学会事務局にグエン・ティ・ミー・リエンさんが就任いたしました。ミー・リエンさんはドンズー日本語学校センター長を務め、青葉奨学会にも大変関心をもち今までもご協力をいただいていました。ミー・リエンさんは、グエン・ドク・ホゥエ代表の依頼で日本での研修が準備されています。現在のところ、10月から3カ月間来日され研修を受ける予定です(5ページに関連記事)。会員皆さまとの交流も希望されています。皆さまの温かいご支援とご協力をお願いいたします。(飯田)


【編集後記】本通信は皆さまからの投稿を歓迎いたします。子ども基金に参加したきっかけ、子ども基金の活動や本通信へのご意見・ご感想をいただければ幸いです。原稿は、郵便または電子メールで受け付けております。ご投稿の際は連絡先も明記してください。採用原稿は、文意を変えない程度に編集することがあるほか、ホームページにも掲載します。あらかじめご承知おきください。(編集部)


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