「ベトナム子ども基金通信No.32」より


ベトナム子ども基金10周年

 ベトナム子ども基金は6月3日、創立10周年を迎えます。本通信はこれを記念して、「10周年特集号」を制作しました。「特集号」は子ども基金の広報にも使えるよう、活動内容を網羅しております。会員の皆様には同封送付しましたので、ご高覧いただければ幸いです。

■ベトナム子ども基金10周年にあたり

ベトナム青葉奨学会代表
グエン・ドク・ホゥエ

 時のたつのは早いもので、ベトナム子ども基金も10周年を迎えました。子ども基金は過去10年間、ベトナムの子どもたちや教育に多大なる貢献をしてきました。貧しい子どもたちに4212件の奨学金を与え、また、辺境地に4つの学校を作ってくれました。奨学金を受けた学生たち、学生の父母、基金から援助を受けた地方の住民たち、また、ベトナムのすべてを代表して、ベトナム子ども基金会員の皆様をはじめ、基金にご協力いただいた方々に対して、厚くお礼申し上げます。
 皆様からの奨学金のおかげで、学生たちが勉学を続け、希望の教育段階まで進学できるようになりました。これまで、ほとんどの奨学生が高校まで進学し、43人が大学を卒業しました。ベトナムにおいて高校や大学を出ることは高い理想であり、まして彼らのような貧しいものにとっては一生のあこがれです。学校を卒業した学生は皆自立し、不自由のない生活を送ることができるようになり、社会に貢献できるまでに成長しました。それはすべて援助いただいた皆様のおかげです。皆様が建ててくださった学校はこの先30〜50年存続し、農村地や辺境地の若者たちを育てて、送り出すことができるでしょう。その学生の中から地方や国家に携わる人材も出てくるはずです。そして、学校がある地方の住民は皆様の支援を忘れることはないでしょう。
 農村地や辺境地の子どもたちにとって、外国人を認知するのは皆様が初めてです。彼らの日本や日本人に対する印象はとても良く、感謝の気持ちでいっぱいです。ときどき、皆様がベトナムへ来て、学生たちと面会し、励ましてくださることは彼らに温かい気持ちを与えてくれます。これを機に、日越両民族の友情はますます深まっていくことでしょう。
 ベトナムの子どもたち、また、ベトナム国に対して、皆様が大きな支援をしてくださることは日越両民族の永久的な友情、また、世界の平和につながっていくことと信じています。
 最後に、改めて、奨学金を受けた学生、ベトナム子ども基金から助けられた地方の住民を代表して、基金の会員の皆様、協力してくれた友人たちに感謝いたします。最後になりましたが、皆様のご多幸をお祈りしております。

(Nguyen Duc Hoe)

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■ベトナム子ども基金10周年を迎えて
ホゥエ氏にファン・ボイ・チャウを重ねつつ

ベトナム子ども基金代表
近 藤  昇

 1995年、グエン・ドク・ホゥエさんの奨学基金設立の要請を受けて、私が思い浮かべたのは、その四半世紀前に当時のサイゴンの一角で、縁あって共に暮らしていた路上生活の子どもたちのことでした。私たちの家にいる限りは、彼らは靴磨きや新聞売りなどをしながら、希望すれば学校へ行くことができましたが、それは限られた子どもたちであり、ほとんどの路上生活の子どもたちにとっては不可能なことでした。
 ホゥエさんはかつて留学生として東京大学大学院で理論物理学を学んでいた時代を、アジア文化会館の母体となった新星学寮で、寮の主宰者であり会館の創設者でもあった故穂積五一先生の下で過ごしました。このときの先生や寮の在り方に影響を受け、ホゥエさんは苦しい勉学生活を送っていたベトナム人留学生のための宿舎を自ら立ち上げました。そしてこの寮を「東遊(ドンズー)学舎」と名付けました。「東遊」とは1900年代の初め、フランス植民地からの独立を求め、日本への留学運動を推進した先人ファン・ボイ・チャウの「東遊運動」に由来するものです。そしてこのときすでにホゥエさんは、戦禍のもとにある子どもたちへの救援基金を在日ベトナム人留学生とその友人たちから募り、故国に送る活動を行っていました。74年に帰国し、幾多の困難を経た後で、ベトナムの若者たちに日本の科学技術を学ばせたいと考えたホゥエさんは91年、「東遊日本語学校」を設立します。この「東遊日本語学校」から現在までに数百名のベトナム人学生が留学しています。ホゥエさんは、教育を通じてベトナムの子どもたちに希望を与え、その力で人々が幸福に暮らせるベトナムを築こうとしているのです。
 ベトナム子ども基金設立当時、ベトナム戦争が終わってすでに20年が経っていました。しかし、依然として、貧しい家庭の子どもたちが教育を受ける機会さえ奪われがちな状況を、ホゥエさんは黙視できませんでした。
 私は、たまたま青年期のある時期をボランティアとしてベトナムで過ごし、ホゥエさんの気持ちの背景を想像する条件がある程度ありましたし、アジア文化会館の職員という地の利もあり、先輩や友人の協力を得て、95年6月に「ベトナム子ども基金」を発会させることができました。しかし私が基金の運営に携わっていたのは最初の1年ほどにすぎません。基金の趣旨に賛同して運営委員になろうという方々がすぐに現れ、歴代の事務局長を始め、各担当役員を引き受けて現在に至っています。さらに、さまざまなメディアがこの基金を紹介してくださったことにより、全国各地でホゥエさんの気持ちを受け止め、奨学金支援の申し出をしてくださる多くの方々が現れました。皆様が里親として、一般会員として、継続し、代を継ぎ、あるいは入れ替わって今日までベトナムの子どもたちを支えてくださっています。
 この10年、ベトナムの子どもたちと彼らを支えてこられたホゥエさんはじめ、ベトナムと日本の皆様からいただいた大切なものを力にして、これからも歩み続けたいと思います。

(こんどう のぼる)


■黄梅基金で学校建設 −現地視察報告−

 新たな「学校建設黄梅基金」がこのたび、会員の霍田耕二郎、小形康善の両氏のご支援により、実現します。子ども基金の飯田博康事務局長は3月、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表とともに建設予定地を視察し、「学校建設黄梅基金」を実施することを決めました。

ベンチェー省 小学校建設予定地視察

飯 田 博 康

 3月16日(水)朝6時、ホーチミン市を出発。ミートー(My Tho)からはフェリーに2回乗り、やっと11時30分、クイホア(Quy Hoa)村に到着。
 村の人口は現在、9500人、うち小学生が1000人。小学校は、村に4校ある。
 村の産業は稲作とヤシの実。最近は、えびの養殖が行われている。
 郡事務所からは車では行けず、バイクの後ろに乗って幅2mの農道を走る。約20分で目的の小学校がある。学校は2教室で、幼稚園(30人)と小学校1、2年生(60人)が勉強する。学校は、トタン屋根に周りを板で囲んだもので、大きめの物置小屋のようだ。
 教室は風雨にさらされ、落ち着いて勉強ができない悪条件である。幸い、近くに村が用意した学校建設予定地がある。用地は、横20m、奥行き50mで造成する必要もなく、洪水等の心配もない。村の期待通り4教室が完成すれば、子どもたちはきっと喜ぶことと思われる。
 青葉奨学会のホゥエ氏は、村の人たちが協力して建設費を節約し、机や椅子が用意されることを依頼した。
 現在、小学1年から4年生は120人、教諭は3人。竣工は工事着工後3カ月。2005年9月の新学年は、新しい学校で勉強が始まる。

(いいだ ひろやす)

写真上:校舎外観
写真下:教室はトタン屋根で、板塀で周囲を囲っている。

カット:かいせまうし


■里子の声(奨学金授与式スピーチより)

奨学金を受ける喜び

グエン・ティ・トゥイ・リエウ

 私は、小学校2年生のときから青葉奨学金をいただいている経済的に恵まれない学生の一人です。現在、私は中学校4年生になりました。これまでの8年間、私は、家族や友人たちの温かい気持ちに支えられて生きてきました。また、青葉奨学会は、私のような貧しい学生をご支援くださいました。
 私が小学校2年生のとき、母は病気のために体が弱くなり、仕事をすることができなくなってしまいました。家族の負担が父の肩に重くのしかかりました。家族の1日の収入は、2万7000ドンだけです。もし、これ以上家計が困難になった場合、私は勉強をやめなければなりません。そのときは、両親を助けるために、早く大人になりたいです。
 私は、毎日学校へ通い、勉学に励んでいます。また、私はいつも心のどこかで、いつか勉強をやめなければならない日がくることを不安に感じています。ですが、幸運なことに、私は、青葉奨学会からご支援をいただいています。引き続き今年も青葉奨学会にご支援いただけますことを心よりうれしく思います。両親も私の幸運をとても喜んでくれています。
 初めて奨学金を受け取ったとき、私は本当に幸せで感動したことを覚えています。この奨学金支援は、私たちのような貧しい学生にとって大変大きな意味を持っています。奨学金を通じて、私たちは、里親様の愛情を実感することができます。友人たちが奨学金を手にしている姿を見ると、胸が熱くなります。私は、友人たちのように、引き続き学校に通うことができます。里親様からいただいた奨学金は、勉学に必要なものを購入するために使わせていただきます。
 私たちは、家族や友人、そして、青葉奨学会の温かい気持ちに支えられています。幸運なことに、私たちは、精神的に充実した生活を送り、困難を抱えているかわいそうな子どもたちに比べて、穏やかに新年を迎える準備をすることができました。  私たちは、一番幸せな人間です。先輩たちを見習い、私たちは、素直で優秀な学生になるため、一生懸命勉学に励みます。そして、両親や里親様、また、青葉奨学会の先生方や私たちに幸せを運んでくださる皆様を悲しませないために、日々努力いたします。
 青葉奨学会の先生方と里親様のご健康、ご幸福を心よりお祈り申し上げます。里親様の愛情、青葉奨学会の先生方と学生の皆さんの温かいお気持ちにふさわしい学生になるため、勉学に励むことをお約束いたします。

(Nguyen Thi Thuy Lieu)

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ベトナムの発展のために

グエン・ティ・キム・リエン

 本日は、この記念すべき式典において、奨学生を代表し、皆様にごあいさつさせていただけますことを大変光栄に思います。
 先生から青葉奨学金をいただけるという知らせを受けたとき、私はとてもうれしかったことを覚えています。なぜなら、この奨学金は、私たちが勉強を続けていくための、大きな原動力だからです。
 毎回、私は里親様に手紙を書き、感謝の気持ちを伝えました。そして、毎年奨学金をいただくため、また、里親様と貧しい学生たちが学校で勉強をするための条件を整えてくださる青葉奨学会の先生方を悲しませないために、さらに努力することを固く心に誓いました。
 私は、奨学金をいただき、大学に進学することができました。貧しい学生生活の中、私はこの奨学金にどれほど助けられたかわかりません。さらに幸運なことに、この度、私は、日本への留学が決定いたしました。
 日本では、建築、科学、経済についての理解を深め、留学後はベトナムへ帰国し、ベトナム国発展のために、力の限り努力することをお約束いたします。
 私は、これからも多くの困難と試練を乗り越えなければなりません。ですが、私は、両親や先生方、そして、里親様の期待に応えることができるように、青葉奨学会の教えに従い、一生懸命努力することをお約束いたします。
 奨学生の皆さんが、精一杯勉学に励み、将来成功を収められますことを心よりお祈り申し上げます。
 最後になりましたが、新年における皆様のご健康、ご多幸、御成功をお祈り申し上げます。また、学生の皆さんが優秀な成績を修められますことをお祈りいたします。

(Nguyen Thi Kim Lien)

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学業と仕事の両立

リー・クオック・フー

 本日この式典において、青葉奨学会についての思いを話させていただけますことを大変光栄に思います。
 7年前、母が、偶然に青葉奨学金をいただいている学生の父母と知り合い、そのとき、私の母は初めて青葉奨学会の存在を知りました。それ以来、私は学生の間、青葉奨学会とともに過ごすこととなったのです。
 この式典に出席している学生の皆さんの生活環境はそれぞれ違いますが、一つだけ共通点があることを私は知っています。それは、貧しい環境にありながらも、家族を手伝いながら優秀な成績を修めていることです。それは、本当に貴重なことだと思います。この場をお借りして、学生の皆さん、先生方、そして里親の皆様に、私の家庭環境をお話しさせていただきます。
 当時、家庭の状況が本当に苦しかったことを、私は未だに覚えています。父が脳性まひになったため、家族を養うことが不可能となりました。母は、市場や路上で物売りをしていましたが、稼げるお金はごくわずかにもかかわらず、その稼ぎは、すべて父の薬代に消えていくという過酷な毎日でした。
 生活は非常に苦しく困難を極めました。さらに、その当時の私は、必死に勉強すること以外、家族を助けることはできませんでした。なぜなら、私が困難から抜け出すためには、学歴を身に付けるしかないと考えたからです。
 しかし、私たちが諦めることなく辛抱強く努力を続けたならば、人生は決して私たちに背を向けることはありません。このことは、実際に私がすでに経験したことでもあります。最も苦しいときに、青葉奨学金が私を救い、学校の友人や先生方が、私を支えてくれました。叔父叔母、親戚、近所に住む人々も必死に私たち家族を助けてくれました。
 空腹時の一口は、満腹時の一包み以上の価値をもたらします。野菜が少しと一かけらの肉しかないときもありましたが、それでも私にとっては、すべてがありがたい皆様からの大切な気持ちでした。
 大学に進学し、私がアルバイトをしながら学校に通うようになったため、生活はいくらか楽になりました。
 大学1年目、私はとても消極的で、学業にばかり専念していたのを覚えています。なぜなら、私には、奨学金があったからです。しかし、勉強しながら働くということは、とても貴重な経験だと思います。教科書や学校では教えてもらうことのできない、多くのことを学ぶことができます。
 3年生になり、私は懸命に仕事を探し、ある外国語センターでの正式教員のアルバイトをすることが決まりました。それは、正式教員ではありますが、何の資格も必要としませんでした。午前中大学に通い、夜はセンターでのアルバイト、そして日曜は家庭教師をする生活でした。
 最終学年になり、皆が卒業試験の準備をしているころ、私は、シンガポールのコンピューター学校で仕事をすることが決まりました。遅いときには夜9時半過ぎまで教え、家に帰ってからなんとか時間を作り、2、3時間勉強していました。このように仕事をしながら懸命に勉強を続ける中、私はある日、オーストラリアの奨学金のことを耳にしました。実力を試すつもりで試験を受けたのですが、思いがけず、その奨学金に合格することができました。試験日が近くなって、ようやく仕事を休み、奨学金試験の準備のため、自分がこれまで学んだことを復習しただけでした。
 私は現在、午前中、学校に通いながら、午後と夜に英語を教えています。二つの違った分野の仕事、また、経済と教育において、私は成功を収めることができました。
 将来、私は自分の会社を設立したいと考えています。また、夜には勉強を教えることができればと希望しています。私は、この二つの分野において、喜びを見出すことができました。
 今日の私があるのは、青葉奨学会、里親の皆様、青葉奨学会の先生方、高校の先生と大学教授のご支援のおかげと、心から感謝しております。また、友人や親戚、近所の方々、特に両親に対しては、深く感謝いたしております。
 もし、皆様からのご支援をいただくことができなければ、今日の私はなかったと思います。将来、もしできることなら、里親の皆様と一緒に、私のような環境にある子どもたちを助けてあげたいと思っています。青葉奨学会が発展し、貧しくとも一生懸命勉強しているすべての学生たちに、奨学金が支給されることを願っています。
 最後になりましたが、先生方、里親の皆様、ご来賓の皆様、そして学生の皆さんの新年における平穏、ご繁栄、ご成功を心よりお祈り申し上げます。

(Ly Quoc Phu)

カット:かいせまうし

■青葉の「制服を贈る活動」

貧しい子どもたちに新しい洋服のプレゼント
 青葉奨学会(ドンズー日本語学校、ホーチミン〈HCM〉市)の“春の樹”2005年のプログラムで、3000着のうちの約600着の新しい洋服(紺のズボン、白のシャツ)がドゥックホア(Duc Hoa)郡、カンズォック(Can Giuoc)郡(ロンアン〈Long An〉省)、そしてカンゾー(Can Gio)郡(HCM市)の貧しい生徒たちにプレゼントされた。残りの洋服は引き続き、クーチー(Cu Chi)郡とビンチャン(Binh Chanh)郡(HCM市)、トゥートゥア(Thu Thua)郡(ロンアン省)の生徒たちに贈呈される。この活動はHCM市在住の日本人、ドンズー日本語学校の先生、生徒たちによって毎年行われているものである。
【トゥイチェー新聞1月22日付(写真:同紙ホームページ=http://www.tuoitre.com.vn/より)

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制服を贈る活動に参加して

グエン・バオ・ニーム

 今朝は、晴天に恵まれ、私たちは、ロンアン省ドゥックホア郡へと向かいました。私はこの度、ドンズー日本語学校の青葉奨学会が主催する「経済的に恵まれない子どもたちに1着の制服を贈る運動」に初めて参加しました。ドゥックホア郡へ続く道は曲がりくねり、複雑に入りくんでいました。
 私たちの車は、多くの橋を越え、赤土の道を走っていきました。1時間ほどでドゥックホア郡の育英会にたどり着きました。そこは道路に面しているのではなく、とても小さな路地にありました。私たちが到着するころには、すでに先生方と学生たち、そして学生の家族が集まっていました。
 子どもたちは、私たちの到着を待ち望んでいたようでした。そんな無邪気な子どもたちを目の前にして、私は温かい気持ちになりました。あめと新しい制服を手にした子どもたちは、とてもうれしそうでした。喜んでいる子どもたちを見て、私もうれしい気持ちになり、疲れは少しも感じませんでした。1時間ほど子どもたちと楽しい時間を過ごし、名残り惜しい気持ちもありましたが、ドゥックホア郡の子どもたちと別れ、カンズォック郡に向かいました。
 カンズォック郡への道のりは長く、道の両側の木々は、赤土の泥がかかっていたため紅葉しているように見え、道を歩く女学生のアオザイが風に揺れていました。ドンタイン小学校は、赤土の道路に建てられており、学校の設備や机や椅子は、大変粗末なものでした。
 子どもたちの制服は着古したため、ところどころ糸がほつれていました。学校や学生の様子は、ラックヌイ小学校もタンタップ小学校も同じでした。子どもたちは無垢で、天真爛漫で明るく、勉強熱心でした。私は、子どもたちの健気な姿に大変感動し、心の中に深く印象に残りました。
 テトを迎えるにあたり、子どもたちに幸せを運ぶことができ、うれしく思います。

(ドンズー日本語学校生徒・Nguyen Bao Nhiem)


事務局便り

 おかげさまでベトナム子ども基金は6月3日、10周年を迎えます。会員皆様の温かいご支援の賜物と感謝申し上げます。
 6月18日(土)は、10周年記念の定期会員総会を行います。会員皆様はお忙しいことと思いますが、ぜひご出席くださるようあらためてお願い申し上げます。
 10周年記念特集号を同封お届けいたします。十年一昔と申しますが、子ども基金の歩みと成果の一部を紹介いたしました。懐かしく思われることや大きな実績に驚かされることが多々おありのことと思います。10周年の実績をバネに新しい歩みを続けたいと思います。
 今後とも皆様の温かいご支援よろしくお願い申し上げます。  本通信等の発送は、経費節約のため運送会社のメール便を利用することにいたしました。郵便と異なり転居先へ転送されません。お手数ですが住所変更の際は事務局へご連絡ください。
 里親基金と一般基金のお問い合わせが多くなっております。今後は封筒のあて名ラベルに会員皆様の里親基金や一般基金の最終入金日を表示いたします。参考にしてください。表示は「会員番号(KD−×××)年/月/日」となっています。(飯田)

編集後記】個人情報保護法が4月1日、施行されました。当基金は収集した個人情報を基金の管理、会員との連絡および付随する業務に関し利用いたします。また、先にお知らせしたように、会費の領収書発行の原則廃止にともない、会費納入された方のお名前を本通信に記載しております。本通信への記載を望まれない方は、事務局までご連絡ください。(望月)


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