「ベトナム子ども基金通信No.31」より


新たな時代への第一歩 里子とともに子ども基金も10周年

 2004年もベトナムの里子から日本の里親の元に多くの手紙が寄せられました。その中から、卒業や就職などにより、新たな生活を始める里子からの手紙を紹介します。ベトナム子ども基金は今年6月、設立10周年を迎えます。ベトナムの子どもたち、そして会員の皆様とともに歩んだ歳月です。今後も変わらぬご支援をお願いいたします。

■思い出の寄せ書き帳

チャン・ティ・タイン・ヒエン

 里親様、お元気でしょうか。ご家族の皆様もお変わりなく、幸福にお暮らしでしょうか。私もベトナムで、変わりなく元気にしています。
 1年が過ぎ去るのはなんと早いのでしょうか。私は、とても驚き、戸惑った感じです。白いアオザイを着る時代は終わり(訳者註:白いアオザイは女子高校生の制服)、多くの思い出が寄せ書き帳に記念として、残っているだけとなりました。
 8年間、私は日本の里親様の支援を受けてきました。はじめて行われた奨学金授与式のことは今もはっきり覚えています。奨学金を手にしたときはうれしく、誇らしい気持ちがしたものです。それから日々が過ぎ、いただく奨学金も増えました。そして今日まで8年間が過ぎ去りました。私は一生懸命頑張って、支援にふさわしい成績をとろうと努力しなければと、自分に言い聞かせてきました。
 この支援は私にとって物質的にばかりでなく、精神的な意味でもとても大きな励ましでした。本当に感謝しています。  今年でこの奨学金も最後になります。これまで何年にもわたる、私のような困難な状況にある生徒への支援、里親様や皆様の努力、お気持ち、私は決して忘れないでしょう。私はこれからも里親様の励ましを心に受けて、進んでいきます。
 最後に、里親様、ご家族の皆様の幸福をお祈りします。どうぞこれからも引き続き、ベトナムの生徒が勉強を続けられますように、ベトナムの生徒の支援をお願いします。

(Tran Thi Thanh Hien)

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■「いい葉が破れた葉を包む」

ファン・ダン・トゥエ・クアン

 小さな2年生のときから今まで8年間ご援助いただく光栄に与った者です。今日、里親様にうれしいお知らがあります。私はベトナム輸出入銀行(EXIMBANK)で働いてみることになりました。私が働き始めたので、母の荷は軽くなりました。このようになれたもの、母の養育と、里親様のご援助のお陰です。
 8年間、短い時間ではありません。青葉奨学会を通じて、里親様の温かいお気持ちのこもったご支援をいただきました。これは勉強において、また生活においても、とても大きなエネルギーでした。  今日の私の成功にお力を貸してくださったことを里親様、青葉奨学会に感謝します。これからも何をしても、どのような状況にあっても里親様のお気持ちに値する、そして青葉奨学会を設立した方々がこの奨学金を受け取る学生に望んでいらっしゃることに応える生き方をしなければならないと考えています。
 社会、家族、自分自身に役立つ人間になるために力を分けてくださった里親様、青葉の皆様に、再度お礼を申し上げます。  青葉奨学会が発展し、生活の上で精神的な困難、不幸にあっている学生たちを助けるために、多くの方の善意を集めることができるよう、お祈りします。
 「いい葉が破れた葉を包む」は、私たち民族だけでなく、人類すべてにあてはまる人間愛です。近い将来、もっと多くの人たちを助けることができるよう、青葉奨学会に協力することをお約束します。

(Pham Dang Tue Quang)

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■「父親」の愛情

ハー・ゴック・トゥイ

 本日は、粗末なわが家の一角に座して里親様にごあいさつを兼ねて昨年度の学業成績を報告申し上げたく、ペンを執りました。
 私の父は、私が1年生に入学したときから不遇の体でした。だから、私は1回も父に連れられて通学したことがありません。毎年誕生日がくるたびに、私は家族に思いがけない出来事が起こることを期待しました。それは、父の病気が回復して、他のクラスメートのように、父が始業式の日に私を学校まで連れて行ってくれることです。
 しかし、そういうことは、父が亡くなる日まで起こることはありませんでした。そのことを不意に思い出すときがあります。でも、たとえ父に連れられて学校に行けなかったにしても、私は日々通学する中で父親の思いをいっぱい感じ取ることができます。父が亡くなった今は、里親様が私の2人目の父と感じる日々です。里親様は私の心の隙間をしっかり埋めてくださいました。今の私は、毎日2人目のお父様の愛情に導かれて通っています。
 私の母は、一人の身で、今でも家族の面倒を見ながら頑張っています。母は私をとても可愛がってくれます。頑張って勉強するようにいつも励ましてくれるし、常に愛情をいっぱい注いでくれます。  ここで、昨年度の私の学業成績をお伝えいたします。例年どおり「優秀な生徒の賞」を、また区が実施した作文コンテストでは優秀奨励賞をいただくことができました。私を支えてくれる親や里親様方の期待にお応えするために、私はもっともっと頑張る必要を感じています。
 手紙の最後に、里親様にはますますお元気で、いつまでもはつらつと過ごされますようお祈りしております。私は、さらにいい成績がいただけるように頑張って勉強いたします。特に、里親様のご期待にはしっかり応えていきたいと思います。どうか里親様のご様子もお聞かせください。お手紙お待ちしています。

(Ha Ngoc Thuy)


沖縄委員会ツアー同行記

工 藤 由美子

 2004年10月9日から17日にかけて、ベトナム青葉奨学会沖縄委員会のスタディーツアーが行われました。このスタディーツアーは、ハノイから始まり、ベトナムを南下して行くというベトナム縦断の旅でした。ハノイでの市内観光、中部2カ所で行われた里子たちとの交流会、南部での里子訪問という盛りだくさんの8日間でした。列車での移動もありましたが、体調を崩す方もなく、参加者の皆さんが、意欲的に行動されている姿がとても印象的でした。
 観光ビザが不要になってから、以前よりも日本人観光客は増えているようです。最近は、ホーチミン(HCM)市の郊外でも、日本人観光客を見かけます。
 現在、HCM市では、交通規制が厳しくなり、いたるところに信号や中央分離帯ができています。十分に道路整備がなされていないため、逆に交通渋滞を招く事態となっています。警察による交通違反の取り締まりが強化されてはいるのですが、なかなかHCM市の交通事情は改善されません。
 また、車とバスの急激な普及で、交通事故も増えています。バスは、決められた時間どおりに走らなければならず、時間どおりに走らない場合は、交通局から罰せられるため、無理にでもスピードを出そうとするので、大変危険です。HCM市の交通事情は、ますます悪化する一方です。最近は、ヘルメットの着用を義務付けられている地域も増えています。先日、HCMタクシー協会は、違法タクシー対策として、タクシー会社名が記載された新ステッカーと車検証を、協会加盟タクシー約5300台に添付することを発表しました。これにより、利用客はひと目で違法タクシーと区別できるようになりました。観光客や在住外国人にとっては、うれしいニュースです。
 今回のツアーでのメーンは、中部のクワンチ省とビンディン省で行われた子どもたちとの交流会でした。私自身にとっても、この交流会は思い出深いものとなりました。
 沖縄の皆さんは、交流会のために、子どもたちを楽しませるための遊びをたくさん用意してくださいました。
 日本や沖縄のことを地図や写真を使って、子どもたちに説明したり、質問をしたりと、積極的に話をしようという姿勢にとても好感を覚えました。沖縄でベトナム語を勉強なさっている参加者の皆さんは、子どもたちに笑われながらも、何度もベトナム語で話しかけ、子どもたちとの会話を楽しんでおられました。里親の皆さんが、子どもたちの目線に立ち、子どもた ちと積極的にかかわってくださったこともあり、子どもたちもすぐに心を開き、たくさんのかわいらしい笑顔に出会うことができました。
 子どもたちの興味をそそる仕掛けのついたちょっと風変わりな折り紙、沖縄の歌、そして、沖縄の伝統的なエイサー。紙鉄砲は、ベトナムにもあるらしく、子どもたちは、里親の皆さんからプレゼントされた紙鉄砲を何度も楽しそうに鳴らしていました。
 最後には、沖縄から持参した衣装をまとい、沖縄の太鼓を響かせながら、沖縄の伝統舞踊であるエイサーを披露していただきました。沖縄の音楽に合わせて、ベトナムの子どもたちも関係者もみんな楽しく踊りに参加しました。形式にとらわれない、子どもたちとのコミュニケーションを重視した、里親様たちの心のこもった温かい交流会でした。きっと、子どもたちに、沖縄の魅力が十分に伝わったにちがいありません。
 折り紙遊びに夢中になり、日本や沖縄の説明に真剣な眼差しで耳を傾ける子どもたちの顔が、今でも忘れられません。この子どもたちが、どんな風に成長してくれるのか本当に楽しみです。きっと、里親の皆さんも同じお気持ちだと思います。
 めったに会うことができない里親様と里子との交流会は、本当に大きな意味があるとあらためて痛感させられました。奨学金 を通じて、子どもたちは、日本のことを知り、日本人との触れ合いを通じて、何かを感じ、いろいろなことを考えるきっかけになってくれれば幸いです。
 里親の皆さんも、実際にベトナムの文化や子どもたちと触れ合い、多くの発見があったことと思います。また、これから活動を続けていくにあたっての課題や問題点を見つけ出すきっかけにもなったと思います。
 ベトナムという国柄、不可解なことや難しい面もたくさんあるということにも気付かれたと思います。今回のツアーが、これからの沖縄委員会の活動にとって、有意義なものとなってくれると信じています。
 また、今回の沖縄のツアーでは、里子との交流だけでなく青葉奨学会のスタッフとの交流会も行いました。残念なことに、ホゥエ代表は、出張のため参加することはできませんでしたが、ドンズー日本語学校の先生も交えた、楽しい交流会となりました。
 里親の皆さんと現地のベトナム人スタッフは、なかなか会う機会がないので、貴重な交流会だったと思います。これからも少しでも多くの里親様が、ベトナムにいらしてくださることを願っています。そして、私が任期の間に、現地で多くの里親様にお会いできることを楽しみにしています。

(駐ホーチミン市スタッフ・くどう ゆみこ)


変化を恐れないパワー

佐 原 彩 子

 2004年の秋、ベトナム語の学習のためにホーチミン(HCM)市に約3週間滞在しました。これは、1996年の初めてのベトナム訪問から6度目の、そして2002年から2年ぶりのベトナム滞在でした。
 まずベトナムに着いて驚いたのは、空港がきれいになり、空港施設の規模が拡大していることでした。それは、以前あった空港の出迎えの場所がなくなり、タクシーの客引きも強烈でなくなったことを意味していました。
 その出迎えの場所とは、一度タンソンニャット空港に降り立ったことのある方であればご存知だと思われますが、柵が高く、まるで壁のように張り巡らされ、その柵に出迎えの人々が殺到する場所です。出迎えの人々が殺到している柵に向かって空港の外に出て行く緊張感を期待していた私は、広く綺麗になった出迎えロビーに拍子抜けしました。
 よく見るとその向こうには、空港の敷地内のレストランが閉店したまま放置されています。そのレストランで、私は以前、日本へ帰国する前にベトナム人の友人と別れの時間を過ごしたことがありました。この次来るときには、そのレストランは跡形なくなくなっているか、新しいレストランが開店しているかどちらかでしょう。空港の勝手の違いに、あるいは想像していた状況との違いに、なんだか、自分が以前から知っているベトナムとは違うところへ来たようなそんな気持ちを抱きました。
 しかし、タクシーで街を少し走ればそんな感傷的な気持ちは吹き飛んでしまいました。新しいお店はたくさん増えているようでしたが、空港から市内への通りを走れば、知っている風景が広がっていくように感じたからでした。街路の広がり方、街の風景、そして相変わらずの多くのバイクの走る光景が、故郷へ帰ってきたような懐かしい感覚で私を包んでくれたからでした。
 私にとって、HCM市は故郷と呼べるほど知っている人がたくさん住んでいたりする街ではありません。筆不精などがたたって、数えるほどしか知り合いはいません。それでも、街を歩けば知っている顔に再会することも、新しい出会いに遭遇することもあります。
 ベトナム語の学習のために以前も通った大学を訪れると、見たことのある先生たちの顔がありました。また、学校の授業を終えて帰宅しようとしたとき、以前の滞在のときにお世話になったバイクタクシーの人が通りの向こうから大声で呼びかけてきたこともありました。ベトナムへ行けば、知っている人たちと再会できることは、私にとってベトナムが特別な意味のある場所であるように思える一つの要素です。
 そして、ベトナムでは、日本、特に東京よりも人との出会いが容易で楽しいものであるように感じます。今回の滞在では、滞在先のホテルの従業員の人たち、隣の雑貨屋のおばさん、バイクタクシーのおっちゃんたち、向かいの食堂の人たち、近くのレストランのガードマンなどと話をすることが大きな息抜きでした。そういった人たちと知り合うことは、滞在先のホテルを中心とした生活圏が出来上がっていくことでもありました。 また、フランスでの生活のほうがベトナムで暮らすよりも長かったというベトナム人や、カリフォルニアに住んでいるというベトナム人に出会いました。二方とも、フランス式の教育を受けてきたために、ベトナムの歴史を今学んでいる最中だとおっしゃり、ベトナム語を学んでいる私に興味をもたれたようでした。
 そのような人との出会いが今までと変わらず存在している一方で、HCM市の変化の速さはそれと対照的なものであるように私には思えました。その変化の速度とは、HCM市だけのものではなくベトナム全体のものなのかもしれません。例えば、それは急速な都市化と捉えることができるものです。
 2年前にはなかったビルが建ち、デパートができ、ファストフード店が展開していく状況は、都市の人口が増加し、一般的な都市としての消費社会が成立していることを示しています。そのような急速な経済発展や都市化がベトナムの人々にとってどのように考えられているのか、滞在中に強く関心をもちました。
 そこで、一体この急速なベトナムの発展をどう考えているのか2人の先生に尋ねてみました。一方の先生は、発展といっても 毎日の生活の中での変化というものは気づかないものだとお答えになりました。もう一方の先生は、発展していくということは変化していくことなのだから生活が変化していくことは仕方ないことなのだとおっしゃいました。
 お二方にとって、発展や変化は良いものとして捉えられているのでした。きっとベトナムには、発展し変化していくことへの希望が満ちているに違いありません。
 先ほど述べた海外暮らしの長いベトナムの人々がベトナムを暮らしや仕事の拠点として選ぶのにも、そういった希望が影響しているのかもしれません。
 私は、今回の滞在の中で、HCM市という街とその住民から、変化することを恐れないパワーを感じました。今度行くときにはまた街の風景は変わっていることでしょう。その変化を、自分の中のベトナム像が毎回塗り替えられていくことを、楽しめるようになれば、私にとってベトナムはかけがえのない存在となるに違いありません。さまざまなベトナムに出会えることを祈って、これからもベトナムを訪問できればと思います。
 ところで、滞在の目的であったベトナム語の学習の成果が不明なことが一番問題である気がするのですが、ベトナムが発展していくパワーを目の当たりにし、ベトナム語を学んでいくことの希望を持てたということで、ベトナムを訪問し楽しんだ言い訳にしたいと思います。

写真上:1区コンクィン通り。バイクやシクロに交じって、路上では果物が売られる。(写真:編集部)
写真下:サイゴン・トレード・センター33階のラウンジからサイゴン川を望む。(写真:編集部)

(さはら あやこ)


事務局便り

 おかげさまで2004年は皆様の温かいご支援をいただき青葉奨学会の期待に応えることができました。特に10周年記念事業には格別のご配慮を賜りました。ベトナム子ども基金団体の「ベトナム黄梅基金」と「個別黄梅基金」では270名の経済的に恵まれない学生に奨学金を支援いたしました。また、青葉奨学生が描いた絵から「2005年ベトナム子どもカレンダー」を作成し、2000部を青葉へ贈呈しました。厚く御礼申し上げます。
 子ども基金は今年6月に10周年を迎えます。継続は力と申しますが、10年間、皆様からご支援いただきましたベトナムの学生たちは、私たちの想像を超える成果となってベトナム社会に貢献していると信じております。これからも青葉の期待に貢献したいと願っております。
 本通信32号は、10周年記念特集を企画しております。青葉奨学生の成長の様子をご報告するほか、ボランティアでご協力いただいた皆様、そして会員皆様には、10年間の感想や期待、ご意見をお寄せくださるようお願い申し上げます。
 今年も皆様の温かいご支援を心からお願い申し上げます。(飯田)

編集後記】2005年は子ども基金10周年、ベトナム戦争終結30周年、東遊(ドンズー)運動100周年です。東遊運動は、青葉代表ホゥエ氏が校長を務めるドンズー日本語学校の名称の由来でもあります。今年も、ベトナムの「変化を恐れないパワー」(5ページ)に元気を分けてもらいながら、新たな第一歩を踏み出したいと思います。(望月)


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