「ベトナム子ども基金通信No.30」より


ホゥエさんを囲む会開催 −無限の可能性を伝えたい−

 ベトナム子ども基金は8月28日、ベトナム青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表(写真)をアジア文化会館に招き報告会を開催、会員約30名が参加した。報告会に先立ち、子ども基金がこのほど制作した、「2005年ベトナム子どもカレンダー」を近藤昇代表からホゥエ氏に贈呈した。ホゥエ氏は、7月にハノイで行われた里子訪問ツアーの成功のほか、奨学生や日本への留学生について、今後の課題と期待を交えて、概略以下のとおり報告した。

 皆さんこんにちは。ひさびさに皆さんにお会いできてうれしいです。
 正月明けの第1回奨学金授与式は、ホーチミン(HCM)市の統一会堂の中で行いました。出席者は、HCM市の奨学生約200人、メコンデルタの奨学生40人も参加しました。
 メコンデルタの奨学生は、田舎で電気のない生活をしていますから、一度は都会のハノイとHCM市を見てもらおうと、今年から新企画として始めました。
 メコンデルタの奨学生は、HCM市で自動車がたくさん走っている様子を見て、とても驚いていました。1泊2日ですが、彼らの一生の思い出になると思います。彼らは奨学金授与式で、HCM市の友だちと一緒に絵画大会に参加しました。HCM市を案内したのは、青葉の事務局ではなく、HCM市の学生が先輩として、案内してくれました。
 ハノイでも同じ企画を7月に、子ども基金の里子訪問ツアーと同時に行いました。奨学生たちは街に出る機会が全くないので、一生の思い出にするため2泊3日で開催しました。宿舎は、小学校の教室を 借りて、机の上に板を載せ、その上にゴザを敷いてベッドを作りました。HCM市の見学会よりも、ハノイの方が学生たちに、強い印象を与えることができました。
 中部の奨学生はまだ見学会を実現できず、残念です。来年はHCM市、中部のダナン、そしてハノイで、奨学生に一生に一度の経験を与えたい。田舎の学生たちは、毎日、田んぼと牛しか見たことがない。街で、車が来るたびにめずらしくて近寄って見るくらいです。遊園地にも連れて行きました。池や川でしか泳いだことのなかった子どもには、夢でしかなかったのです。それから、歴史的な遺跡と名所もまわりました。本当に意味のある見学会であると結論づけられます。
 費用は、青葉の事務局が節約した管理費から捻出しました。精神の教育が必要だと感じています。ものの考え方を形成してあげられれば効果的ではないか。将来どういう人間になるかそれも大事です。
 子の親への義務、同胞への義務、社会への義務は、学校で教えています。学生に一生懸命勉強しなさいと親も言いますが、なぜ勉強しなくてはならないか、親も説明できません。自分のことしか考えない個人主義など社会には消極的な現象がたくさんあるため、学校の先生も教えることができない。私たちは、学校が指導できないことを伝えたい。無限の可能性があることを学生に伝えたいのです。
 皆さんのおかげで、奨学金は支給されています。さらなるお力を得て黄梅奨学金を支給しています。この9月に留学生から皆さんと同じことをしたい、奨学金を作りたいと要望が出され、設立を決めました。彼らは、帰国した先輩などに呼びかけて、奨学金を作ろうとしています。これまでの私の努力が実ったのです。
 この40年間、苦労してきたのは確かです。昨年、来日したときは、寂しい表情であきらめの気持ちがありましたが、今年は若返ったような表情だと言われた。40年間努力してやっと芽が出始めたのです。
 私が日本留学から帰国したのは1974年です。同年10月ごろ、仏教関係の大学で工学部を設立しましたが、6か月しないうちに、ベトナムは「解放」され、国立の大学に合併されました。しかし、この30年間、ベトナム国内だけでなく海外でも学生は毎年集まります。学生たちは誇りを持っているのです。
 今年4月、設立30年記念として、アメリカやオーストラリアなど各国から元学生が戻ってきて、記念式典をHCM市で盛大に行いました。大学に残った人もいるし、社長になった人もいる。皆言ってくれた。「この30年、立派に生きてこられたのはホゥエさんのおかげだ」。この言葉を聞いて疲れは消え去りました。彼らはいま人生の最高潮にいながら、私を手伝うと言ってくれます。
 留学生は現在まで、約200人を日本に送り出しました。しかし、私には不満がある。期待に添わないことがあって悩んでいました。しかし、今回、悩みがなくなり、元気になったのは、留学生たちに期待していたものが見え始めたからです。
 今回送り出す学生は、私が直接指導しました。忙しくても週1度は、精神の価値観と日本の文化を説明し、彼らに理想を説いてきたのです。75年以前は、命や暮らしを犠牲にして同胞のため働き、祖国のため尽くしてきました。戦後、そういった理想が崩れ始め、自信がなくなってきた。若い人はわがままで拝金的だと悲観している。しかし、今回の学生たちを見て、心の奥底に愛国心がまだ生きていると思いました。ベトナムはまだ将来があると、考えています。

(Nguyen Duc Hoe)


第3回里子訪問ツア− in Hanoi

 第3回里子訪問ツアーは7月、ハノイで里子との交流会を行い、無事帰国しました。ツアー一行を迎えた里子たちも、一緒に日本の歌をうたうなど、楽しいひとときを過ごしました。交流会に参加した里子からこのほど、手紙が届きました。(編集部)

■日本を感じた交流会

フォン・ティ・タイン・ドゥック

 7月19日、日本の里親様方との交流会に私も出席できたことはとてもうれしいことです。招待状を手にしたときは日本の里親様方と会えるのがとてもうれしく、また里親様方はどんな人々だろう、ベトナム人と似ているのだろうかと、その日の来るのをワクワクしながら待っていました。
 交流会はタオサック寺で始まりました。初めは私たちも不安でしたが、そのうちみんなはりきりだしました。自己紹介の後で席を変えましたので、学生たちと里親様方との間が近づき、会場の雰囲気がとても盛り上がりました。
 里親様方が日本の歌をうたってくれました。とても楽しそうで私たちも一緒にうたいましたので、会場はとても和やかな雰囲気に包まれました。なんと表現していいかわからないほどの感動を与えてくれました。
 私は橋本進司さんのグループでした。橋本さんは家族のこと、仕事のこと、日本のことなど、いろいろ楽しい話をしてくれました。話はとても興味深く、また何も包み隠さないで話してくれました。
 昼食はベトナム料理です。伝統的なバインチュン(もち)、ソーセージを揚げたもの、タイ湖のえびなどのごちそうです。橋本さんはごく自然に食べ、ベトナム料理はとてもおいしいとほめました。食事をしながら、私たちはベトナムや日本の料理の話をしました。
 言葉はそれぞれ違いますが里親様方もこの交流を十分楽しんでいただけたと思います。私たちも里親様方といろいろ話ができました。身近に日本と日本の人々を感じました。この交流会に出席させていただいたことに感謝します。いつの日かまた皆様に奨学生がベトナムの歌をうたってくれました
お目にかかれたらと思います。本当にありがとうございます。

(Phuong Thi Thanh Duc)


奨学生の前で「2005年ベトナム子どもカレンダー」を紹介するホゥエ代表


交流会で橋本さん(中央)を囲む奨学生たち

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■忘れることのない1日

ファム・ティ・ホン・ガム

 私はタイビン省にあるフズック高校11年生(高校2年生)です。現在、私はベトナム青葉奨学会から奨学金をもらっています。この奨学金は私をおおいに励ましてくれます。学費を払ったり、本や学用品を買ったりします。犬やアヒルを飼う費用の一部にもなります。もちろん、この奨学金は私に家族のため、社会のために働くようにとの励ましも与えてくれます。
 7月17日、青葉奨学会がハノイで私たちのために交流会を開いてくれました。私たちはそれまで、首都のハノイに行ったことがありませんでした。ですから、みな興奮し、疲れなどいささかも感じませんでした。ハノイでは、それまで耳にするだけで行ったことのないさまざまな所に行きました。ホー・チ・ミン主席が住んでいた質素な家をこの目で見、有名なチャンティエンのアイスクリームを食べ、スーパーマーケットにも入りました。私の故郷では高くても4階建ての建物ですが、ハノイでは多くの高層の建物を見ました。中央アカデミー科学技術院も見、チュ・ヴァン・アン先生や過去の向学心に燃えた人々の話も聞くことができました。
 私は、私たちの世話をしてくれたスアンラ小学校の先生方を忘れることができません。先生方は交流会の準備を周到に用意し、私たちにおいしい料理をごちそうしてくれました。
 こうして私たちは日本の里親様方とお会いすることができました。本当にとても楽しい1日でした。忘れることはないでしょう。
 ハノイでの3日間はあっという間に過ぎ去りました。今タイビン省に帰ってきて、ハノイでの日々をよく思い出します。それらは私たち全員にとってとても新しく、現代的で、これからも私はもっと勉強して自分もこのベトナムの文化を作っていくのだという気持ちにさせてくれます。
 最後になりますが、心からお礼を申し上げ、皆様の健康と、お仕事が順調にいきますようにとお祈りします。

(Pham Thi Hong Gam)


奨学生がベトナムの歌を歌ってくれました。


多くの奨学生たちに出会うことができました


■里子からの手紙

クラスメートの助けを得て

カィン・グエン

 最近お父様のお仕事は順調ですか。私は11年生が終了しました。ご存知ですか、私は「非常に優秀な生徒」の称号を得るために気力を振り絞って困難を乗り越えました。本当に、勉強している間は学校でさまざまなプレッシャーに耐えてきました。
 実は私は全然優秀な生徒ではないのです。私のクラスにはとても優秀な友達がいます。私の学校は都市のトップの学校なので皆優秀です。そして私は経済的余裕がないので塾にも行けず、授業が全然分からないこともよくあります。非常に優秀な生徒になれたのは、私が他の友達よりも熱心に勉強したのと、特にクラスメイトがいろいろ助けてくれたからかもしれません。授業が分からないときはクラスメイトがもう一度私にゆっくり教え直してくれます。ここで私が本当に言いたいことは、私は他の人のように頭がよくないし回転も速くありませんが、ただ人よりも勤勉で熱心だっただけ、ということです。
 今の私の目の前にはとても大切な学年が待ち構えています。それは12年生です。私は、自分が本当に一生懸命頑張る必要があることを分かっています。そうしてこそ初めて大学に合格することができ、その前には卒業試験に受かることができるのです。
 私は家族とお父様そして青葉奨学会が私を応援してくださると信じています。ああそうだ、お伝えしようと思ったもう一つのうれしい知らせがあります。それは、この前の絵画コンテストで10位になり奨励賞をとったのです。里親様はもうご覧になりましたでしょうか。確か東京でカレンダーの絵の展示があるはずでしたが。もし機会がありましたらご覧になってくださいね。
 お父様、私は本当にお父様のお手紙を頂戴したいと思っています。私は、お父様のご様子はいかがなのか、お仕事は何をされていて、お顔はどんなだろうか、とても知りたいと思っています。私はお父様からご援助をいただきながらお父様について何も知らないのは本当に恥ずかしいです。
 手紙が長くなりました。お父様とご家族様のご健康をお祈り申し上げます。私自身は、一生懸命勉強し日本に留学する夢を実現します。そのときはお父様にお目にかかりたいと思います。

(Khanh Nguyen)

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規則正しい生活で

グエン・チ・トゥイ・シェウ

 誕生日を祝ってくださって本当にありがとうございました。私はほんの少し大きくなって14歳になりました。本当に早いもので、8年生も終わってしまいクラスメイトとお別れしました。そして当然ですが、私は「非常に優秀な生徒」になり、学年と学校から賞をいただきました。私はとてもうれしいです。
 来年9年生に進級し中学の卒業試験があり、中学校の学び舎とも別れる準備をすることになります。きっと私はこの学校の先生方を懐かしむに違いありません。学校へ通う日々、先生方は両親のようであり、常に教え諭してくださいました。
 今年私には夏休みがありません。卒業試験の準備のために、今から技能を勉強しなくてはならないのです。私は「電気」を選択しました。この科目は一番難しいのですが、私は他のものと同じように勉強することを選びました。何故ならば、「難しいということは賢いということ」だからです。
 そして今私はお菓子を売りに行く準備をしています。8、9年生になるとアオザイを着なくてはならないので、私は物売りに行って、父がアオザイを仕立てるための布を買うお金の足しにしようと思い、貯金するつもりです。その仕事は日焼けしてとても重労働ですが、里親様が教えてくださった「健康に気をつけるんだよ」という言葉をいつも覚えています。里親様ご教授いただきありがとうございました。
 今年私の体育の成績はよくなりました。それはVOVINAMという武道によって体力がついたおかげです。私はいつも具体的に時間を決めた規則正しい生活時間割表を自分に課しています。里親様はいかがですか。きっといつもお仕事で大変なのでしょうね。でも里親様、健康にはご注意なさってくださいね。

(Nguyen Thi Thuy Sieu)

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夏の暑さを乗り越えて

ホー・ゴック・ハン

 里親様、卒業試験のことを考えると、私の気持ちは重くなります。合格できるかどうか、とても心配です。9年生(中学4年生)の今年の年間の成績は秀でした。英語の成績が下がったのが原因です。里親様もさぞがっかりすることでしょう。私も期待に応えることができず、とても残念です。
 今年のベトナムの夏はうだるような暑さです。日本も暑いのでしょうか。今、私は母と一緒に暮らしていません。母は私を棄てて一人の男性と一緒になりました。その男性はお酒を飲み、飲むと酔っ払って、よく母をなぐります。ですから、住む家にも苦労しています。家を借りるために、母は宝くじを売って、1日1万ドン(約80円)の家賃を払っています。母はここ数か月、ひと月に一度、家に帰ってきます。その母の姿は、痛ましいものです。お金がなくて食べ物が買えないため、近所のひとに食べ物をもらっているような状態です。
 私も同じような状態です。母が私を棄てて以来、私には頼るところ、住むところがないような状態です。これから私はどのように生きていけばいいのでしょうか。今住んでいるここを追い払われ、どこかに行かなければなりません。お金をかせぐために、学校には行けなくなるのではと、いつもがっかりしています。
 しかし、里親様、幸運なことに私はお父さんとお母さんにめぐり会いました。そして引き続き勉強をしています。学校では担任の先生と、副校長先生が私をかわいがってくれます。副校長先生は、中学校を卒業したら、職業訓練校に行くといいだろうと、いってくれました。私にはお金がなく、上級の学校に進むのは難しいからです。私は担任の先生や、他の先生、そして里親様に心配していただいて、とてもうれしいです。
 手紙の最後に、里親様にお礼の言葉を申し上げたいと思います。6年間にもわたる青葉奨学金の支援は、私への物質的な支援であり、精神的な励みでした。本当にありがとうございます。もう一度、里親様、ご家族の皆様の幸福と、100歳までの長寿、幸運をお祈りします。私の手紙には脈絡がなくて読みづらいかもしれません。どうぞお許しください。里親様、青葉奨学会のみなさまにお礼を申し上げます。「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」。

(Ho Ngoc Han)


■「黄梅基金」報告

 ベトナム子ども基金10周年記念事業として、黄梅奨学基金が発足いたしました。おかげさまで、子ども基金の団体としての「ベトナム黄梅基金」は2003年繰越金の200万円を加え287万1500円になり、「個別黄梅基金」は4名から合計363万5000円のご協力をいただきました。総合計650万6500円(04年8月31日現在)の黄梅基金ができました。すでにベトナム青葉奨学会へ513万5000円を送金、残りの135万1500円は近日中に送金予定です。皆様の温かいご支援に心から感謝申し上げます。
 黄梅基金は、基金をベトナム政府系銀行に預金し、利息分を奨学金として支援いたします。奨学金支援対象は農漁村や山岳地域の経済的に恵まれない学生が対象です。04年は14省270名の小中学生に奨学金を支給することができました。来年は04年の利息分(金利年7,56%)で目標の350名以上の学生に奨学金が支給されます。
 今後は青葉奨学会の協力により、奨学金支援対象地域の状態や学生の様子を報告いたします。新しく始まりました黄梅基金を今後ともご支援賜りますようお願い申し上げます。なお、子ども基金は継続して、「団体」および「個別」ともに黄梅基金の募集をいたします。今後ともよろしくお願いいたします。タイビン省ティエンハイ郡の黄梅基金奨学生から手紙が届きました。ご紹介いたします(以下参照)。


■黄梅奨学生からの手紙

水路と漁船の街から

チャン・ティ・フエ

 私はタイビン省のチャン・ティ・フエです。皆様のやさしいお気持ちに対して、心からお礼を申し上げます。
 私は貧乏な家庭に生まれ、成長しました。私の故郷は水路と漁船の街です。私は漁船のなかで暮らしています。ですから生活はあらゆる意味で不安定です。弟妹が3人いますし、さまざまな困難がありましたので、何度も学校をやめようと思いました。
 現在、皆様からの奨学金をいただき、こうして勉強を続けることができ、家族も喜んでいます。ありがとうございます。皆様の支援は「どんなに困難な環境の下でも、勉強を続けることが現在のあなたの務めです」という励ましの声のようです。
 皆様とご家族の方々の健康をお祈りします。そして黄梅奨学会がさらにしっかり発展して、活動を継続するようお願いします。

(Tran Thi Hue)

カット:かいせまうし

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家は稲作農家

ダオ・ティ・ホン・チャウ

 私はタイビン省のダオ・ティ・ホン・チャウです。皆様のやさしいお気持ちに対して、心からお礼を申し上げます。皆様の健康、平安、発展をお祈りします。
 私は貧乏な家庭に生まれ、そして大きくなりました。私の家はお米を作っている農家です。両親は離婚し、父が3サオ(訳者註:1サオは360平方メートル)の田でお米を作りながら、私を育てています。私はいつも病気がちですので、わが家は非常に困難な経済状態です。
 きょう奨学金をいただきました。父もとても感謝し、感動しています。父からも皆様にお礼を申し上げたいとのことです。
 皆様の会がこれからも活動を続け、発展し、多くの困っている子どもたちのために、この活動を続けられますようにお祈りします。ありがとうございます。

(Dao Thi Hong Chau)

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ホーおじさんの良い子賞

ハー・ヴァン・ビン

 きょうは、2004年6月9日です。きょう、黄梅奨学金15万ドン(約1200円)をいただきました。黄梅奨学会様、キエンスオン県奨学会様の皆様に、心からお礼を申し上げます。僕はこれからも一生懸命勉強して、「ホーおじさんの良い子賞」(訳者註:成績が良く、品行の良い、15歳までの子どもに贈られる賞)の名に恥じない成績をとりたいと思います。

(Ha Van Binh)

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孫と家族の幸せ

ファム・ティ・ホン

 私はタイビン省に住む、ヴ―・ティ・トアの祖母です。現在、孫はヴーソン中学校で学んでいます。
 わが家は現在、経済的にとても困難な状況にあります。また両親は健康がすぐれず、いつも病気がちです。このたび、学校のおかげで、ヴー・ティ・トアが黄梅奨学金を受けることができるようになりました。このような状況のなかで、孫が奨学金をもらって勉強できることは、とてもわが家にとっても本人にとっても安心で、幸福なことで、とてもうれしく感謝しています。心からお礼を申し上げます。

(Pham Thi Hong)

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励ましの言葉を感じて

グエン・ヴァン・トン

 私はタイビン省のホンティエン中学6年生(中学1年生)です。
 皆様からの奨学金をいただきました。ありがとうございます、心からお礼を申し上げます。皆様の健康と平安をお祈りし、また皆様の会がさらに発展して、私以上に困難な環境にある子どもたちを支援いただけますようにお願いします。
 皆様、私は困窮した家庭に生まれ、大きくなりました。私が生まれ育ったところは、水路に浮かぶ漁船のなかです。私の家はこの漁船ですので、生活も不安定で、何度も勉強をあきらめようとしました。また私には3人の弟妹がいますので、それも生活の困難さの一因になっていると思います。
 きょう、皆様からの奨学金をいただきました。私も、私の家族もとてもうれしく、感動しています。この贈り物は私に「困難な環境の下でも、勉強を続けなさい。勉強こそがすべての困難に打ち勝てるもとです」との励ましの言葉のように聞こえます。
 私の家族も皆様にお礼を申し上げ、皆様が健康で、さらにしっかりした基盤をもって発展し、いつまでも多くの生徒たちの心を温めてくださるようお願いします。

(Nguyen Van Ton)

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娘を包む温かい気持ち

ファム・ヴァン・ヴァイン

 私はキエンスオン県に住むファム・ティ・ルアの父親です。娘は現在、ヴーソン中学校で勉強しています。
 わが家の経済的な環境は現在、とても困難な状況にあります。また私は精神病を患っています。このような状態のなかで娘は黄梅奨学会の奨学金の援助をいただけるようになりました。この奨学金制度のおかげで、娘も勉強を続けることができ、わが家の大変さもいくらか減りつつあります。
 奨学会の皆様の温かいお気持ちに対して、家族からも心からお礼を申し上げます。

(Pham Van Vanh)


ベトナム「夢」展覧会開催

 多くの人びとにベトナムの子どもたちのことを知っていただきたいと、「ベトナム『夢』展覧会」が開催されました。会場となった、東京都千代田区役所1階ロビー(7月27日〜8月2日)と、いきいきプラザ一番町1階区民ギャラリー(8月5〜13日)には、たくさんの方々に青葉奨学生が描いた絵に関心を持って見ていただきました。
 この展覧会は、千代田区役所政策経営部国際平和・男女平等人権課ならびにベトナム千代田地球市民の会が共催で開催していただきました。両主催者の皆様に厚く御礼申し上げます。(飯田)


2004年8月28日
青 葉 奨 学 会 殿

ベ ト ナ ム 子 供 基 金
代表 近 藤  昇

2005年ベトナム子どもカレンダー贈呈

 ベトナム子ども基金は10周年記念事業としてベトナムの子どもたちが描いた絵で「2005年ベトナム子どもカレンダー」の制作を計画致しました。 
 今年2月青葉奨学会のご協力を頂き「青葉奨学生絵画大会」が開催され、奨学生が熱心に絵を描き立派な絵がたくさん描けました。
 お蔭様でここに「2005年ベトナム子どもカレンダー」が立派に完成いたしました。
 ベトナム子ども基金会員からのささやかな贈り物として「2005年ベトナム子どもカレンダー2000部」を贈呈いたします。
 青葉奨学会及び青葉奨学生の益々のご発展を心から祈念いたします。


■事務局便り

 ベトナムでは9月から新学年が始まりました。奨学生は夢を膨らませ勉強に励んでいることと思います。最近の里子の手紙には勉学に励む決意や将来の夢などが多く書かれています。2005年の青葉奨学生申請書の受付と審査が始まりました。11月には里子の継続または新しい里子のご案内ができることと思います。
「2005年ベトナム子どもカレンダー」は立派に完成し、2000部を青葉奨学会に贈呈いたしました(10ページ下参照)。会員皆様のカレンダーご購入を重ねてお願い申し上げます。
 ベトナム子ども基金は05年6月10周年を迎えることになります。会員皆様のご協力をいただき、意義ある10周年が迎えられますことを願っております。(飯田)

編集後記】子ども基金は10月2、3の両日、東京の日比谷公園で開催された国際協力フェスティバルに出展しました。子ども基金の広報はもちろん、他団体の活動を知る機会でもありますから視察にも抜かりはありません。そして、大事そうに持ち帰ったのは、アラビックサンドイッチ。異文化交流は身をもって体験しなくてはなりません。そう得心して、フィリピンのかき氷ハロハロも胃に収めたのでした。(望月)


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