「ベトナム子ども基金通信No.26」より


「ホゥエさんを囲む会」開催

ベトナム子ども基金は8月30日、来日中のベトナム青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表との懇談会をアジア文化会館で開催、会員36名が参加しました。ホゥエ氏は、ホーチミン(HCM)市よりも地方の子どもに多くの奨学金を支援するとともに、精神の教育に力を入れたいとの基本方針を説明、また、新たに「黄梅奨学金」を開始すると述べ、参加者の関心を引きました。

地方の子どもを積極的に支援

ホゥエ:今年の奨学生は1146名になりました。HCM市の割合はずいぶん少なくなり、毎年100名ほど削減、その分を地方に回しています。奨学金が本当に必要なところ、奨学金のありがたさがわかるところに回したいのです。HCM市にも貧しい子どもは大勢いますが、都市部ではお金の価値が下がる一方、農村部では少ない金額でもありがたい。しかし、地方では奨学金制度が整っておらず、青葉の奨学金がもらえることは、本人にとって名誉であり、親も家計が助かると喜んでいます。今後、できるだけ地方に奨学金を回します。今年、HCM市では300人を下回りました。
 これからは、中部高原など青葉が浸透していないところに支給したいと考えています。地方でも沿岸部には奨学金が届いていますが、バンメトートなど山間部はまだまだです。北部ベトナムの山間部、中国国境地方は、まだ配ることができていません。現在、中部の山間部で奨学生を増やしています。
 ベトナム社会の中で青葉奨学会は評価されてきており、新聞や雑誌でも好意的に紹介されています。ハノイには、1000年前にできた大学跡クォック・トゥ・ザム(*1)があり、そこに青葉奨学生を集めて奨学金を支給、ハノイの人びとに青葉を知ってもらういい機会になりました。ハノイでは約60人の奨学生がいます。青葉が奨学金を直接渡すのはHCM市だけで、地方ではそれぞれの奨学会に送金しています。私たちはHCM市にいますが、いまは全国的に知られており、奨学金も奨学生の数もベトナムで最多です。

精神の教育、新規奨学金の提案

青葉は、奨学金を無事に子どもに届けられるようになりましたが、精神の面はまだ不十分。どこから奨学金が送られてくるのか奨学生は十分理解せず、里親と事務局の期待もよくわかっていない。
 年1〜2回、HCM市とハノイ、中部のダナンの3か所で学生を集めて、1泊または1日で事務局と会う企画を計画しています。学生に楽しんでもらうことはもちろん、教育する機会を設けるのです。事務局と子どもたちとは親子ほど年齢の差があるので、兄姉である学生の力を借りて、事務局に代わって、子どもたちに心を伝えてもらいたい。事務局の後継者でもある学生を集めて、協力をできるだけ得られるようにしたいと思います。事務局は必要経費を出す。仲間同士が親しくなり、青葉の精神を理解してもらい、奨学金を渡す日に弟妹の世話、指導をしてもらいたいのです。私たちと子どもたちの中間で子どもの心を理解でき、私たちの言いたいことも理解できます。継続的に学生を養成していきたい。
 そうやってHCM市の学生が成長したら、地方の子どもは、ほとんどがHCM市に行ったことがない、村から出たこともないので、地方からHCM市に行くためのバス代を青葉で出してやり、HCM市の子どもと交流したり、市内を見学するイベントをやってみたい。その次は、ハノイでも北部ベトナムの奨学生の代表者を集めてみたい。はじめから全員は無理なので30〜40人の中規模で試して、成功すれば、翌年は人数を増やすつもりです。
 青葉の会報「青葉新聞」は、毎月定期的に発行できるようになりました。書く人も増えてきました。奨学金を渡すときに、この会報を一緒に付けて読んでもらいたい。模範的な学生を取り上げ、多くの学生が真似できるようにして、精神の教育をしたいのです。
 黄梅奨学金について説明します。里親からの送金には、奨学金と管理費が含まれ、この管理費は奨学生1名に月1ドル、年12ドルを計上していますが、実はこの半分も支出していません。返金はできないし、緊急の使途もない。10年間で約250万円も蓄積されました。
 青葉奨学金の金額は大きく魅力的である一方、農村ではなかなかチャンスがない。農村の子どもは月100円あれば助かるし、青葉の奨学金ではもらいすぎの感もある。農村の子どもに適した金額、年10万ドン=約800円、月70〜80円あれば助かるのです。青葉と重複しないように、黄梅奨学金をあげたいと思います。この奨学金は、銀行に預けて得られる利子で行います。現在の利率は8%あり、奨学金が1人年10万ドンならば200名の学生が受け取ることができます。青葉の事務局が管理しますが、青葉とは別の「黄梅奨学金」を作るつもりです。ロータリークラブが福祉事業をしたいというときも手助けできますし、永続的に多くの子どもが恩恵を得られます。

質 疑 応 答

事務局:ここで今回の「ホゥエさんを囲む会」をご案内した往復はがきの返信で寄せられた皆さまの声を紹介します。
 「ベトナム子ども基金の年度の始まりと終わりはいつですか」との質問ですが、当基金は1月1日から12月31日までを単年度としており、これはベトナム青葉奨学会も同様です。
 本日お見えになれなかった方からは、「ホゥエさんの活躍をお祈りします」「通信で写真とお話を楽しみにしています」「関西でも 開催してほしい」との声が寄せられました。
 その他には次のようなものがありました。「経済的事情で学ぶことができない子どもがいなくなることを願っています」「子ども基金通信が楽しみです」「教育はやはり大事です」「日本の危機に外国の子どもを助けるときか、最近気になります」「裕福な日本の子どもたちに伝えてあげたい」「里子の元気な便りが夫婦の楽しみです」「事務局の皆さんご苦労様です」「ベトナムに親しみを持つために、里子が卒業してからも交流を望みます」
 中部高原の少数民族にも奨学生が増えていますが、山岳部では写真を撮ることがあまりないようで、写真のない履歴票が送られてくることがありますが、里親の皆さんにはあらかじめご了承ください。里子からの手紙は、里子が手紙を学校に提出して、学校から青葉に届くまでに、数をまとめたりするので、数か月かかります。青葉から子ども基金へはまた1か月、翻訳にも時間が必要なので、時間が経過して里親のお手元に届きますが、みなさんのところに極力早く届くよう善処するつもりです。黄梅奨学金については、里子1人につき月1ドルの管理費が必要とされ、年12ドルを経費として計上しており、決算を見るとすべて支出したことになっていました。実は半分は残っていて、これを政府系の銀行に預けていると報告がありました。この元金をプールして利息だけ支給する計画です。皆さんからの寄付を節約してできたものです。
 1995年に発足した子ども基金は、10周年プロジェクトの準備を進めています。これまで学校建設などもしてきましたが、子ども基金でも黄梅奨学金を作れば、地方の子どもに支給し、ずっと交流できるのです。
ホゥエ:青葉は、子ども基金が建設したカマウとロンアンを合わせて、10校建てることができました。今回来日したのは「九州青年の船の会」の招きで、30周年記念事業でロンアン省の小学校の建て替え工事を行ったためです。8月8日に引き渡し式があり、23日に沖縄で報告会がありました。
会場:学校はどのくらいの費用で建設可能ですか。 ホゥエ:地盤の強いところは安くできるが、弱いところは補強しなくてはなりません。九州青年の船の会は、ロンアンで200万円ほど で校舎を造りました。机いすも村の人が作り、黒板のペンキ塗りもドンズー日本語学校での経験を活かして節約しました。
事務局:子ども基金もロンアン省で小学校を建設しました。4つの教室と職員室、ホールがあって、490万円ほどでした。
会場:学校建設を年に1校など、事業としてやっていければいい思う。それには、会員を増やして、ベースをしっかり整えないといけない。どのくらいの会員を増やさなくてはならないのでしょうか。私たち会員はどうしたらいいのでしょうか。
事務局:10周年プロジェクトで、例えば、数名が各50万円を出せれば、学校を建てられます。さらに、そこで黄梅奨学金を支給して、現地との関係を保っていければと思います。
会場:農村の学校は、建設すれば、教師も派遣されるのですか。学校に行けない子どもはどうケアしているのですか。
ホゥエ:学校は建設するが、運営は地方の人びとが考えなくてはなりません。教師の給与は政府に支給してもらうなど。たいてい建て替えですが、学校がないところには、まず教師が赴任してから建てることにしています。学校に行けない子どもは、人民委員会(*2)や校長が責任を負います。原則は教師が家庭に行って、事情を聞かなくてはならない。支援してあげることもある。子どもが学校に行かないのは、親が働き手として望んでいるためで、教師が親を説得しなくてはなりません。
会場:HCM市で奨学生を減らして、中部や北部に広げるとのことですが、これはホゥエさんの個人的コネクションなのか、それとも、地方の奨学会を通じてですか。
ホゥエ:地方の奨学会を通じてです。個人的にも青葉の事務に干渉することはありません。事務局が人選や連絡もすべて行っています。
会場:今年奨学金の支給を受けても、翌年打ち切られることがあるとのことだが、私はひとりの子どもで支援を続けたい。
事務局:青葉は審査が厳しいが、里親がひとりの子どもの支援を続けたいならば、事務局に言っていただければ可能です。ホゥエさんにも、里親は里子との関係を楽しみにしていることはご理解いただいています。 会場:学生に青葉の精神を教えて、子どもに伝える活動をしたいとのことですが、1146名は、規模として小さいのでは。
ホゥエ:会報を青葉の奨学生だけでなく、黄梅の奨学生や、彼らの仲間にも読んでもらい、遠隔教育のきっかけとしたい。協力者を集め、意味のある会報にするよう努力します。
会場:義務教育についてと就学率は?
ホゥエ:小学校は建前として義務教育ですが、地方によっては徹底されていません。全国には経済的問題、家庭の事情を理由に就学していない子どもがいます。日本のように法的な義務教育はまだです。就学率は、おそらく5%は学校に行っていないでしょう。しかし識字率は高い(*3)。
会場:ベトナム人の名前は、例えば、グエン・ドク・ホゥエと3つに分かれていますが、姓名はどうなっているのですか。また、結婚すると女性は姓が変わるのですか。 ホゥエ:グエンが姓、ホゥエが名、ドクは「徳」という意味です。女性の姓は結婚しても変わらず、子は父親の姓になります(*4)。
会場:里子訪問ツアーは毎年4月に行うのですか。仕事でその時期は都合がつきません。
事務局:10〜2月は里子の更新に伴う作業で事務局が多忙になってしまう。また、夏は旅費が高額になる。ご希望には極力添いたいので、ご意見をいただければと思います。10月に国際協力フェスティバル、11月には文京区ボランティアまつりに参加する予定です。是非、遊びがてらおいでください(10ページ参照)。本日はありがとうございました。

編集部注〈参考文献〉
*1 クオック・トゥ・ザム(Quoc Tu Giam=国子監):1076年、ハノイの文廟におかれた〈ベトナムの事典、同朋社〉。
*2 人民委員会:地方政権の行政府で、人民委員会の下に各部局があり日常行政を行う〈同〉。
*3 教育事情・識字率:就学年齢は6歳。小学校5年(義務教育、無料)、中学校4年、高校3年。成人識字率は男96%、女91%(2000年推計)〈世界年鑑2003年版、共同通信社〉。初等教育の就学率(1998年)は男92.1%、女90.7%〈世界銀行、 http://www.worldbank.org.vn/data/s_indicator.htm〉。
*4 ベトナム人の姓名:ベトナム人の名前は、それぞれ漢字一文字からなり、姓+(ミドルネーム)+名の順で構成される。ミドルネームはない場合もある。男性女性とも結婚後も姓は変わらない。子どもには父の姓をつけるのが普通〈ベトナムの事典、同朋社〉。


■里子からの手紙

自分の足でしっかり立つ

ゴー・ミン・ホン

私はチューヴァンアン高校3年A3組の生徒です。今まで3年間にわたり青葉奨学金を受け取ってまいりましたが、今回はじめて、里親様ならびに熱心に援助してくださった皆様に心からの御礼を申しあげるためにお手紙を差し上げます。
 私に物質的のみならず、精神的にもご支援くださった青葉奨学会の方々に大変感謝いたします。毎月受け取らせていただいた奨学金は、私の勉強や生活に大変役立っただけでなく、より大切だったのは皆様が私に与えてくださった共感のお気持ちです。
 私は母と一緒に、会社が集中する区域の小さな家の2階に暮らしています。母は家の近くの小さな保育園で働く保母です。母は体が小さく里親様より年下ですが、病気がちですぐに頭痛や関節痛をおこし、さらに慢性大腸炎も患っています。母が痛みで辛そうにしているのを見るたびに、何もしてあげられず、私は辛くて悲しいです。
 私には兄弟がおらず、家には私と母しかいないので、いつもとても寂しいです。父は4年前に肝臓がんで亡くなりました。しかし高校入学以来、私は友人、担任の先生方の気遣いをいただき、そして何よりも青葉の里親様のお心遣いをいただくことができました。まだお目にかかったことがない方々から本当に心のこもったお気持ちを頂戴しました。皆様が私にくださったお気持ちは、私に自信と人生で夢をかなえる意思を与えてくれました。
 私の様々な夢は、今実現できるチャンスがたくさんあります。私は皆様を裏切らないよう、全力を尽くしてその夢を実現できるように頑張ります。私は優秀な科学者になりたいと思っています。そして母の病気を治し、国家に貢献し、私の父のようにがんなどの病気で苦しまなくてはならない人がいなくなるために少しでも役立てたらと思うのです。そしてまた機会があったら、私が今までしていただいてきたように、恵まれない子どもたちに物質的精神的援助をしたいと思います。
 でも何よりも私がやらなくてはならないことは(母もよく私に言っていますが)自分の二本の足でしっかり立つことなのかもしれません。ですから私は母や先生方、友人、周りの皆様の期待と希望を裏切らないよう、今の学校の勉強を常に全力を尽くして頑張り続けていきます。里親様が日本から私や私のようなベトナムの子どもたちにお気持ちをお寄せくださったことにとても感謝しています。
 奨学金を受け取ることができ、奨学会のお心遣いをいただくことができたのは、幸運で幸福なことでした。でもまだ多くの恵まれない子どもたちが、私のような幸運をつかむことができずにいます。たくさんの子どもたちが自分と同じような幸運を受け取れるといいなあと思います。(Ngo Minh Hong)

◇  ◇  ◇

試練を乗り越えて

グエン・チ・トゥ・フォン

私は、ナムディン市レホンフォン高校歴史科の12学年(高校3年)に在籍しておりました。奨学委員会の皆様や里親様には、大変お世話になりました。このたびは、皆様に、心からの御礼とごあいさつを申しあげたくお便りさせていただきました。2002年〜2003年度における私の学習状況もあわせて、ここにご報告申しあげます。
 私は農村の家庭に生まれました。私の両親は、日々の暮らしでさえ逼迫した境遇にあるというのに、私と弟に学問をつけて一人前に育てあげようと、ますますの負荷を背負う生活を選びました。日ごとに、厳しく苦しい状況は増すばかりでした。  そういう状況にありながら、4年前に母が死去してからの父は、私たちの養育費を稼ぐために、わずかな田んぼで米を作るかたわら、来る日も来る日もあちこちの建築現場に(仕事がある限りにおいて)出かけなければなりませんでした。私は農家の子どもですが、将来は先生になることを希望し、その実現を心に強く誓って暮らしてきました。
 それが、母が亡くなってまもなく、勉学は中止せざるを得ないと考え、父を助けて家事をし、母に代わり、弟の面倒をみました(私は9学年の前期が始まったばかりで、弟は5年生でした)。私は、自分に誓った将来の夢すべてが、眼前で崩れ落ちたと思いました。しかし父とともに、叔父や叔母たち、そして学校の先生友人が、私に、困難であってもそれを乗り越えていくべきと励まし応援してくれました。それから、精神面や物質面で、親戚から援助を受け、私は自分の夢をあきらめることなく追い続けることができました。その年、9学年から選ばれた優秀生が受ける県の歴史の試験において、3番目の優秀賞をいただきました。その結果、私は高校の歴史科に入学できましたが、毎日登校していても、相変わらず心配事が心をよぎりました。「明日は学校に行けなくなるのでは…」
 10学年(高校1年)に進級できたとき、本当に幸運なことがありました。校内の奨学委員会が私のことを認めてくださり、青葉の奨学金をいただけることになりました。そのお金は、多くの人にとってさほどの額ではないでしょうが、私には本当に価値ある額でした。それからは、青葉奨学会が私に代わって、本やノートを買う費用や学費を払ってくださり、そのほかにも、毎月、学校からA種の奨学金(月8万ドン)をいただきました。その費用は、毎日の家族の生計を心配する父に渡しました。それからは、勉学が安心してできるようになりました。さらにますます頑張る意欲がわきました。将来の目的達成のために勉学に励むことはもちろんのこと、私は親戚、家族、そして里親様や青葉の皆様の信頼と気遣いの数々に報いるために、私自身の力で困難を乗り越えるべき努力の必要を感じました。
 10学年では、県から選抜された「優秀生試験」において、総合で2番目の優秀賞をいただきました。11学年では、3番目の優秀賞をいただきました。さらに12学年でも、より高いレベルの成績がいただけるように、一生懸命頑張りました。その結果、県選抜の優秀生試験は、2番目の賞をいただき、国レベルの選抜優秀生試験では奨励賞をいただき、また、校内においても総合の優秀賞と生活品行は「良」をいただくことができました。高校の卒業試験は終わったばかりです。6科目(文学、物理、地理、歴史、数学、英語)にわたって試験が行われ、総合54点でした。この結果で、ナムディン市の高等師範大学に推薦されました。そして、大学入試の成績に、2点が加算されることになりました。
 現在は、希望大学の入学試験に向けた勉強に、集中して取り組んでいます。もうすぐ私は、ハノイに行きます。7月9〜10日の2日間にわたって実施される、ハノイ師範大学歴史科を受験するためです。
 過去を振り返ってみて、私は多くの時間を勉強に費やしてきました。この3年間の厳しかった試練の数々を思うと、胸に熱いものが込み上げてきます。事実、奨学金をいただくことができたとき、背中を押してくださる方々の熱意を感じ、私はさらに勉学が続行できることをうれしく思いました。
 この手紙を通して、国の将来を担う若者世代に、心血注いでくださる奨学会の皆様には、心から感謝申しあげます。里親様がどういうお方か、具体的なことはわかりません。しかし、どんなにか心優しく、慈愛心に満ちあふれた方と想像しております。
 里親様は、遠い国にお住まいになりながらも、私のことを信じてくださり、見守ってくださいました。将来に向かって一歩一歩進む私を、厚く応援し、励ましてくださいました。大学入学試験はまもなくです。最高の結果を出すように、私は、体力、知識、精神のすべてを試験日に合わせ頑張ることを誓います。(Nguyen Thi Thu Huong)

◇  ◇  ◇

一枚の絵に込めた思い

ファム・ロン・トゥイ・ティック

里親様から、ご援助や温かい激励の言葉をいただき、とても幸運な1年でした。奨学金をいただくことは、私にとって、無上の幸福につながります。奨学金は、勉学意欲を大きな力で後押ししてくださるばかりか、里親様や両親のように、いつも私のことを思い気遣ってくださる方が周りにいる、そのためいつも心穏やかに過ごすことができます。里親様はご存知でしょうか? ベトナムには、古くから言い伝えられてきた言葉があります。果物を食べるときは、収穫までの苦労を想い、水を飲むときは、水源から引かれてくる大変さを想うこと。私はいつも、周りの人からいただく恩儀を、深く心に刻み込むようにしています。温かい慈愛のご援助をいただいたおかげで、私の今日があると思っています。私は、常々から憧れだった大学に入学できたし、その大教室で講義を聴くことができました。
 今年は、ホーチミン美術大学の2年に進学しました。現在後期の試験期間です。私は、将来の進路をよく勘案し、その選択をすべき時期にきています。次の3学年は、各専門分野に分かれて学ぶことになります。卒業後に役立つ学問分野といえば、美術を応用した分野でしょう。しかしその道は、生涯かけて続けられる分野になり得るでしょうか。生涯の仕事とするなら、漆塗りのプロの道に入る分野も可能です。しかし、それは家族にとって非常に厳しいことになりましょう。なぜなら、卒業後最初のおよそ5年間は、その道の修行と創作にかかり、生活費が十分得られるという保証がないからです。
 もし自らの意思に反した専門を選んだとしたら、おそらく、私は人生に生きがいをなくすでしょう。独立したひとりの大人になることは、私にとって実に難しいことです。私は絶えずみんなから守られ、生活のことを全く考えなくていい子どもの状態であり続けることができるなら、とそう思ってしまいます。しかし、考えてみるに、社会から受けてきた待遇や、社会に役立つ大人に成長する様子を、楽しみにしてきた両親や里親様の希望や期待を思うと、自分をとても恥ずかしく思います。私の考えは実に愚かなことですね。
 私にとって非常に意味深い絵を一枚、里親様に差しあげるために、描きたいと思っています。これまで描いてきた何枚かはありますが、今の時点で、それらは私自身がまだ満足できるものではありません。里親様に差し上げられるほどのものが、いまだ描ききれていません。しかし、私は自分の心のありったけを制作に打ち込み、自分が一番納得できる絵を仕上げることをお約束いたします。私にはとても意義のある絵になりましょう。(Pham Long Thuy Thic)


■続く里子との交流

Maret 飛 鳥

7月に仕事でホーチミン市に10日間滞在することになり、ベトナム子ども基金やベトナム青葉奨学会の方々とのお力添えで、元里子のクエ・トゥさんと家族との心温まる交流ができました。私立大学に進学したことで援助が終わり、一度も会えぬまま、他人になってしまうのかと寂しい気持ちでいたところの幸運。滞在中3度も会えて、今後は友人としての交流が続きそうです。本当にありがとうございました。様子を日記にしました。(写真:右から、Maret飛鳥氏、元里子のクエ・トゥさん、彼女のいとこ)

7月2日 夕方、ホテル入口で感激の対面!クエ・トゥさんとご両親、それに青葉の土肥さんに通訳にお願いし、5人でガーデン風ベトナムレストランにて夕食。席に着くとすぐクエ・トゥさんからプレゼントを渡され、驚くやらうれしいやら(輪島塗に似た、ベトナム伝統工芸トレーで、毎日のお茶タイムの伴となっている)。緊張のせいか、みな遠慮深く困ったが、巻き貝のミンチ蒸し、蓮根のサラダ、大きなエビのココナツ蒸しなど、お決まりのものではないメニューも食べて、土肥さんの通訳を頼りに、とてもなごやかなひとときを過ごした。

7月5日 外務省のASEAN-JAPAN交流事業でのコンサートが今回の私の音楽家としての仕事だったので、演奏を聴きに来てもらった。開演前のひととき、楽屋の外で記念写真を撮る。コンサートではにわか仕込みのベトナム語であいさつをしたが、今回のツアーで回った、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムの4か国の中で一番苦労した。中国語のように声調が決め手な上、鼻にかかる発音が難しかった。ま、半分ぐらい通じたかな?(笑)
 慣れないはじめての国で、コンサートスタッフも混乱していて、土肥さんには何度も連絡をして変更があったりなんだりで、大変ご迷惑をおかけしてしまった。

7月7日 初日の夕食会の帰り際、彼らの家に来ないかと誘われた。青葉の許しを得て、土肥さんなしで単独訪問することに。
 朝8時、ホテルにクエ・トゥさんと、いとこで英語の少し話せる17歳の男の子がバイクで迎えに来てくれた。ヘルメットをかぶっている人はほとんどおらず、時には50ccバイクに赤ちゃんを含めた子ども2人、大人2人の4人で相乗りしている。信号もあるようなないような、隙あらば渡ってしまうので、青信号で歩いて渡っていても信号無視のバイクにクラクションを鳴らされてしまったりするのには驚いた。排気ガスを吸わないよう、ほとんどの人が顔半分をスカーフなどで覆い、マスク代わりにしている。実際バイクに乗ってみると、耐えられない空気の悪さだった。バイク初体験の私は“決死隊”のような気持ちで運転手にぴったり抱きついていた。あつあつの恋人同士ぐらいしか、そんな風には乗っていないので、終始人びとの視線を感じたが、本当〜に怖かった!
 クエ・トゥさんの家は、高級ホテルエリアからサイゴン川を渡った第2区にある。その辺りこそ、私のイメージしていたベトナムの感じで落ち着いた田舎の住宅街。ホテルの周りの観光客エリアでマッサージの客引きなどに疲れていた私には、本当にほっとできる1日だった。
 家に着くと犬のお出迎え。奥で寝ていた90歳のおばあちゃんを紹介してもらい、家の中を見せてくれた。日本ではそういう習慣がないので、欧米的なのか、お母さんが気さくなのか? 庭もあって、東京の私の住まいなどより広い。本当に、海外に住んだり、旅行するたび、東京の“消費に忙しい物に恵まれたうさぎ小屋生活”と比べてしまう。幸福ってなんだろう? 素朴な疑問にとらわれる。貨幣価値の不思議さにも。お母さんは朝食の心配をしてくれ、目玉焼きとトースト、ベトナムコーヒーを作ってくれた。彼女が日本の私の母に似ていることもあり、このあたりから私は娘のようになっていくのだった。家族皆でベトナム最大級のスーパー「メトロ」へ出かけたときも、私の持っていた黒い帽子より、こっちのオレンジの方が洋服に似合ってるよ、とお母さんの帽子をかぶせてくれた。結局それも帰るとき、持って行きなさい、と…。
 ところで、クエ・トゥさんといとこと3人で過ごした時間に、それとなく「明日、戦争資料館に行く」と言い、少し話題を持ちかけてみた。私の夫はアメリカ人で、向こうでは、年中、政治や戦争のことで家族が激論を戦わせるので、ベトナムの若い世代の意識を探ってみたかった。でも、英語の理解力の問題もあってか、リアクションはまったくなかった。日本でヒロシマが風化していっているように、それほど年月がたっていなくても、今の若いベトナム人はすでに戦争の歴史を知らない人もいると、あとで知人から聞いた。でも街には、枯葉剤の影響を受けているのではないかと思われる子どもが何人も道ばたに座っていた。新しい地球の歴史を担っていく若者ともっと突っ込んで話がしたくて、ベトナム語が話せないことにひとり苛立った。
 クエ・トゥさんのバイクに乗り、2人でホテルへ。別れるときには涙が出た。そのうちE-mail通信しようねと約束した。ビジネス経済を勉強し始めた彼女は、私よりコンピューターが得意になるに違いない。
 この里親基金は、一方的な援助ではなく、里親の心の支えであったり、異文化に触れるチャンスであったり、今回のように人生の喜びを増やしてくれる、すばらしい相互扶助のシステムだと思う。見えない何かではなくコミュニケーションを深め合っていく実感がある。今は私も2人目の里親。今度は男の子。ゆっくりじっくり知り合っていきたい。そして、機会あるごとに、友人たちにこの制度を広めていきたいと思っている。(音楽家・Maret あすか)

青い草原のような歌に誓う

クエ・トゥ

ようやく大切な時刻がやって来た。8時ちょうど、ずっとピクリともせず静かに下がっていた幕が今ゆっくりと上がり、そして「開演いたします」のアナウンス。最初はカントリー調の賑やかな曲で、劇場の雰囲気を熱く盛り上げ熱狂的にさせた。このときの私の気持ちがどうだったか知るには、私の両目を見るだけで十分だったろう。今日劇場に来たすべての人の中で私ほど幸福で喜んでいる者はいない。2つの目はこの上なく輝き、私の唇には常に微笑みが留まっていた。
 「あっ、彼女だ!」 私は自分だけが聞こえるような小さな声でそっと言った。さっきからずっと彼女を探していたのだった。彼女とは誰か? 彼女は私が今までに出会った中で一番素晴らしい人である。有名な芸術家でありながら、とても親切でとても優しくてとても控え目な人でもある。舞台の上でアオザイを着ていると、彼女はとても美しく見え、ベトナム的で優しい美しさを感じる。
 こういう音楽のことはあまり詳しくないが、公演に加わっているすべての人が皆、楽器について非常に深い知識を持っていることがわかった。それは軽やかで聞き心地のよい優しさがあると同時に力強く活気あふれ人を熱狂させる性質も混ざっている。すべての歌曲が人びとの瞳に、平和でのんびりと裕福な暮らしが出来る場所−青々とした草原の無限の広がりとその平穏な光景を思い起こさせる。
 私が劇場で芸術家の公演を見たのは今回が最初であるため、私の感じたことは一緒に見に行った人たちとはずいぶん違っているかもしれない。今まで私が知っていたのはテレビを通してでしかなく、本物の人間が本当に演奏するのではなかったし、この目で一人の芸術家の才能を実感したことはなかった。だから今まで私は自分が崇拝し学び取ろうと目標にする人は一人もいなかったのだ。でも今日からは、自分自身のため、私の将来を心配してくれる方々を失望させないために、私はどんなことでも学んでいかなくてはならないとわかった。一生懸命勉強して、様々な芸術家の方々から教えられたこと−心を強くしっかりと持ち続けることが成功をもたらす−をこれから実践していきたい。これはベトナムの格言「鉄も磨けば金になる」と同じだと思う。最後に公演が素晴らしい成功を収めることをお祈りするとともに、出演者の皆様がいつまでもお元気で世界に平和と慈愛の心の歌声を届けてくださることを祈念している。(Khue Tu)

※Maret飛鳥さんの元里子クエ・トゥさんからの手紙は、ボランティアで翻訳をお願いしている早川明子さんに特に本通信のため翻訳していただきました。ありがとうございました。(編集部)


■イベント参加のお知らせ

ベトナム子ども基金は今秋、2つのイベントに出展し、活動の紹介を行います。10月の「国際協力フェスティバル」は昨年に続き2回目、11月の「文京ボランティアまつり」は初めての参加です。会員の皆さまのお越しをお待ちしております。詳細は各イベントのホームページ(HP)をご参照いただくか、各イベント事務局にお問い合わせください。

◇国際協力フェスティバル2003
・開催日:10月4日(土)、5日(日)10:00〜17:00
・場 所:日比谷公園(東京都千代田区)
・最寄駅:地下鉄日比谷駅、JR有楽町駅ほか
・目 的:より多くの人びとに国際協力とは何かを知ってもらい、国際協力への理解と参加を広める目的で、国際協力市民団体(NGO)・政府・国際機関・自治体・民間団体など、約200団体の参加で開催されています。
・お問い合わせ先:国際協力フェスティバル同実行委員会事務局=電話03-5565-6385
・H P:http://festival2003.visitors.jp/

◇文京ボランティアまつり2003
・開催日:11月22日(土)10:00〜16:00
・場 所:文京区民センター(東京都文京区本郷4-15-14)
・最寄駅:都営地下鉄春日駅
・目 的:文京区におけるボランティア・市民活動への「理解」と「参加」を促進する。
・お問い合わせ先:文京ボランティアまつり実行委員会事務局=電話03-3812-3114
・H P:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4553/


10周年プロジェクトvol.2
〈ベトナム子ども基金〉動の時代へ

10周年プロジェクトでは積極的な議論が続けられ、沢山のテーマが出てきました。 10周年記念事業にふさわしく、実現可能なテーマに絞って議論を進めた結果、次の3つのテーマの素案がまとまりましたのでご紹介いたします。

1.「ベトナム黄梅奨学基金」(仮称)設立
ベトナム黄梅奨学基金はベトナムの政府系銀行に預金して得られる利息分から奨学 金を継続的に多くの子どもたちに支援する新しい基金です。農村の特定地域や学校が 支援の対象です。

2.絵画コンテスト
ベトナムの子どもたちに絵を描いてもらい、ベトナムと日本で展示会を行います。 優秀作品から「2005年ベトナム子どもカレンダー」を制作し、青葉奨学生全員と絵画 コンテスト参加者に贈呈します。

3.姉妹学校の交流
ベトナムの学校と、日本の学校で姉妹校関係を結び、学生同士が交流を行います。 具体的な内容や進め方については今後決めたいと考えています。  会員皆様のご意見お待ちいたしております。

(事務局長・飯田博康)

領収書送付について

これまで皆さまからお送りいただいた支援につきましては、その都度領収書を発行してまいりましたが、業務の簡素化、通信費の削減のために2003年4月1日より、郵便振替は郵便局の受領証、銀行振込は銀行の送金明細票をもちましてベトナム子ども基金の領収書のかわりとさせていただきます。
 また確認のために、年4回発行する「ベトナム子ども基金通信」紙上で、お送りいただいた方のお名前と送金月を掲載いたします。もし、これまでと同じように領収書を必要とする場合は、その旨お知らせいただければお送りいたします。
ご理解ご協力くださいますようお願いいたします。

会員の皆様へ:本通信への投稿を歓迎いたします。当基金の活動や本通信について、ご意見・ご感想をいただければ幸いです。原稿は郵便・電子メールで受け付けております。なお、原稿をお送りくださる際は、連絡先も必ず明記してください。
 採用原稿は、文意を変えない程度に編集することがあります。また、原則ホームページにも掲載いたします。あらかじめご承知おきください。(編集部)


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