「ベトナム子ども基金通信No.22」より


里子訪問ツアー参加者報告

 4月に開催した里子訪問ツアーに参加された、中野洋一、飯田博康、光武まち子、藤田政和、唐沢文子の各氏からツアーの感想をご寄稿いただきました。(順不同)

教育を受ける機会の重要性

中 野 洋 一

 ベトナム子ども基金の企画の里子訪問に今回初めて参加しました。残念ながら、私の里子はホーチミン市からかなり遠方にいるので会うことはできませんでしたが、今回のツアーに参加して多くの貴重な体験をすることができ、とても有意義であったと思います。
 ベトナム訪問は実は今回で3回目ですが、今回の訪問ではベトナムの教育・福祉事情、デルタ地帯の農村事情などがわかり、本当にいい勉強になりました。参考ながら1回目は1997年に市民団体「アジアフォーラム」の企画で第二次世界大戦の日本軍占領下における戦争被害調査で、2回目は2000年に九州国際大学の環境研究調査で訪問しました。
 私の専門は国際経済で、特に世界経済における南北問題、途上国の貧困問題と軍事費、武器貿易、累積債務の関連を研究しています。国連開発計画の報告書『人間開発報告1999』によれば、途上国の今日の貧困状況について次のような指摘があります。
「食糧と栄養については、約8億4000万人の人々が栄養失調の状態にある。教育については、8億5000万人あまりの成人が読み書きできないばかりか、初等・中等教育レベルで2億6000万人以上の子どもたちが就学していない。女性については、約3億4000万人もの女性が40歳まで生存できない。子どもについては、約1億6000万人もの子どもたちが栄養失調の状態にあり、2億5000万人以上の子どもたちが児童労働に従事している。保健については、1990-97年にHIV/エイズ感染者数は1500万人未満から3300万人以上へと2倍以上増えた。約15億人が60歳になるまで生存できない。8億8000万人以上の人々が保健医療サービスを利用できず、26億人が基本的な衛生設備を利用できない」
 このような報告書を読んでみても、先進国に住んでいる人々には途上国の人々のその貧困状況はなかなか実感できないものです。今回の訪問では、ホーチミン市郊外のデルタ地帯の農村で支援している学校建設現場が一番大きな収穫でした。村人の生活の話のなかで、子どもたちの教育への思いがよく理解でき、同時に「安全な飲み水」の確保の重要性がいかに切実なものかを初めて実感できました。  私たちの里子支援活動は、実に小さな活動です。しかし、それによって教育を受ける機会を得ることができた子どもが一人増えた事実もまた自分自身の目で確認できました。(なかの よういち)

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厚意の結晶に子どもの笑顔

飯 田 博 康

 ドンズー日本語学校の屋上では、サイゴン川からの涼しい風が私たちを大歓迎してくれました。屋上には青葉奨学会スタッフやボランティアの方々と奨学生のみなさんで満員。奨学生がテーブルに運んでくれるベトナム料理を口にしながら、奨学生やスタッフの方々と楽しく過ごすことができました。思いがけない歓迎パーティーに、感謝の気持ちで胸が熱くなるものを感じました。
 翌日はロントゥアン村の学校建設の視察。トゥートゥア郡人民委員会の裏の運河から、小型のモーターボートに乗り込みました。運河の両岸には地域の日常生活の様子を見ることもでき、飽きない船旅でした。約1時間後、離れ小島のロントゥア村に着き、船から降りてびっくり。昨年来たときは土盛りが完了したばかりの何も無い荒地でした。そこに想像以上の立派な学校が建設されているではありませんか。日本人の厚意の結晶がこのような立派な学校を建てたことに感激。
 授業が終わった小学生が私たちの周りに集まり、キラキラ輝く大きな目で笑顔いっぱいに話し掛けてくる。完成する中学校を待ち望んでいる喜びに思えました。片道10キロメートルを歩いて通学しなければならない子どもたちには、きっと大きなプレゼントになるに違いありません。あらためてホゥエ先生と青葉奨学会の皆様にお礼申しあげます。(いいだ ひろやす)

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次は地方の子どもの里親に

光 武 まち子

 5年ぶりに里子と会い、ずいぶん大人になったと感じ嬉しく思っています。自分の考えをしっかり持った子どもの成長、驚きと、援助してきて良かったとつくづく思っています。
 里子の家を訪問して感じたことは、以前より生活等が良くなっているように見うけられました。しかし、ちょっと納得できないこともありました。里子の姉2人と母親と兄嫁4人が家でブラブラしているとのこと。仕事がないのか、あってもする気がないのか、お国柄なのか、私には理解できませんでした。
 私の里子は今年で卒業します。でもベトナムの地方の子どもたちの多くは学校に行っていないとのこと(行けない?)。私はいま、地方の子どもにできるだけ援助してあげることが必要なのではと感じています。ロンアン省に建設中の学校を見に行きました。一個所を見ただけですが、きっとロンアン省と同じような所が多くあるのだと思います。
 次は地方の子どもの里親になりたいと思っています。子どもと会うことがむずかしくなるでしょうが、子どもと会うだけの援助ではないと思っています。里親の皆さんにはぜひ地方の子どもたちにも目をむけてあげてほしいと思っています。もちろん、私と同じ考えの方が多いと思いますが、ベトナム青葉奨学会の方できめることだから、私たち里親には選ぶことができないもどかしさもあります。そこで事務局の方々には大変でしょうが、地方の子どもにも里親を付けてあげてくだるようお願いをして今回ベトナムに行った感想にしたいと思います。(みつたけ まちこ)

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現地で得たきっかけ

藤 田 政 和

 ベトナムで最初に思ったのは、すごく暑いことです。あとで暑くてちょっとダウンしました。あとはどこに行っても人が多かったことです。バイクもいっぱい走っていて最初は怖かったけれど、最後の日までには慣れました。いろいろな物が安かったのはとても嬉しかったです。日本円をベトナムのお金にしたときも、たくさんの紙幣を手にできて、ちょっとお金持ちになったような気分。一番楽しかったのは、ロンアン省の避難所兼学校を見学するときに乗った、すごい速さのボートです。猛烈なスピードで、暑かったベトナムがとても涼しくなりました。
 全体的に楽しかったので、近いうちにまたベトナムに行きたいです。今度行ったときは、自分にも小学校3年生の里子ができたので、自分の里子にも会いに行きたいです。ベトナムのいろいろな所を歩いていると、いろいろな所で子どもに出会いました。そのときに、自分は学校に行きたくないけれど、ベトナムでは学校に行きたくても行けない子どもがたくさんいるんだなと思ったのが、里親になったきっかけです。(ふじた まさかず・中学3年生)

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タオちゃんのこと

唐 沢 文 子

 主人がタオちゃんの里親になったのは7年前。毎年近況を知らせる便りが届いていましたが、返事を出したこともありませんでした。
 12年生(高校3年生)の夏、体調が悪いとの一文が目にとまり、筆まめでない主人に代わり、私が励ましの手紙を出した初めてのエアメール。「日本にもう一人の母親がいたなんて……」と喜びの返信から、タオちゃんと私の文通が始まったのです。
 昨年10月、大学合格! 「おめでとう」とともに、互いに会いたい気持ちのまま支援が終わり、その後、里子訪問ツアーが企画され絶好のチャンス。この機会を無駄にできないと、思いきって参加することにしました。見知らぬ土地の文化の違い、不安と期待。いろんな気持ちが交錯するうち、空港に着き降り立つと、暑さと人の熱気でムンムン。少々怖さも感じた。大丈夫。添乗員の鈴木さんもいるし、ベトナムに詳しい仲間もいるからと自分自身を励ましたベトナムへの第一歩。
 ホゥエ先生と里子を囲む楽しい夕食会(残念ながらタオちゃんは勉強で来られないと連絡あり)や市内観光などスケジュールをこなして、いよいよ家庭訪問の日。心ウキウキ、ドキドキ、まるで恋人にでも会うかのよう。御家族の感謝の気持ちが伝わり、心配もよそに話しつきぬ訪問ができて、その夕方、ホテルへ訪ねて来てくれて一緒に夕食。
 帰国の時は、真夜中にもかかわらずお父さんと一緒に空港まで見送りに来てくれて、短いひとときでしたが、充実した旅でした。支援を反対した私でしたが、主人のやってきたことが無駄ではなかったと実感する旅行でした。私はいま、食事会や納涼祭などでアオザイを着て、日本語の上手なベトナム人を演じています。いつか、タオちゃんとベトナムの街をアオザイを着て歩きたい、そんな日がまた来る日を夢に、主人の新しいロンアン省の里子の支援、心の奥で応援しましょう。(からさわ ふみこ)


奨学生ウィン・チーさん来日

 青葉奨学会の奨学生でホーチミン市の高校生、ラ・カム・ウィン・チーさんは8月20日、ベトナム子ども基金の里親、湊記代江さんの招きで来日、7泊8日の日程で日本を体験しました。滞在中、毎日新聞東京本社を見学、「毎日中学生新聞」の取材を受けました。

−滞在日程−
8月19日: ホーチミン市発23:45 JL750
8月20日: 成田空港着07:20、日程打ち合わせ、休憩。その後、里親の友人宅で着物体験
8月21日: 伊豆への1泊2日旅行
8月22日: 曇天のため富士山は見えず
8月23日: 午前は茶道と華道を体験。午後、毎日新聞東京本社を見学、子ども基金を表敬訪問
8月24日: 関東国際高校の生徒との交流で原宿、上野動物園、東京国立博物館へ
8月25日: 東京ディズニーランドへ
8月26日: 午前中に土産を買い、14:15新宿から成田へ向かう。成田空港発18:00 JL759

事務局注:里親の皆様が里子を日本に招待する場合、いくつかの条件があります。1.里子を受け入れる部屋があること、2.里親が片言でも英語またはベトナム語を話せること、3.ベトナム語通訳が確保できる状況にあること、4.里子が日本に興味があることなどです。なお今回ボランティアで通訳していただいたダン・ティ・キエウさんとグエン・ティ・キム・チーさんにこの場を借りてお礼申しあげます。

−毎日中学生新聞(8月28日付1面)より−

ベトナムの高校生ウィン・チーさん毎中編集部を訪問 新聞記者になりたい!

 日本の若者たちと交流することを目的として、日本を訪れていたベトナムの高校1年生、ラ・カム・ウィン・チーさん(16)が23日、毎日中学生新聞編集部(東京都千代田区)を訪問した。ウィン・チーさんは、就学困難なベトナムの子どもたちを支援しているNGO・ベトナム子ども基金(近藤昇代表)の会員で現在19人の子どもたちの里親となっている湊記代江さん(64)に招かれて来日、4日間滞在して、26日に帰国した。
 ベトナム子ども基金は、1995年の設立以来、「ベトナム青葉奨学会」(本部・ホーチミン市、グエン・ドク・ホゥエ代表)を通じて、小・中・高校生ら471人に援助を行ってきた。ウィン・チーさんもその一人で、同年から同基金の奨学生となっている。
 ウィン・チーさんに日本の印象を尋ねると、「緑が多くて空気がきれい」という答えが返ってきた。1泊2日の日程で赴いた伊豆旅行が印象深かったという。「初めての温泉が楽しくて、2回も入ってしました。富士山が見られなかったのは残念でしたが、いい体験ができました」
 街で見かけた同世代の若者については、「高校生でもお化粧をしていて大人っぽかった。ベトナムの学生たちはもっと素朴な感じなので驚きました」と率直に話した。
 世界の文学とベトナムの詩をこよなく愛し、「国語が大好き」と語るウィン・チーさんの夢は、新聞記者になること。「社説が書ける記者になるため」に、毎日12時間以上も勉強しているという。今、最も関心のある問題について尋ねると、ウィン・チーさんは真剣な表情で答えた。
 「ベトナムには貧困をはじめとして、さまざまな社会問題がありますが、特に関心があるのは医療。満足に治療を受けられない子どもたちが多いんです。病気にかかっても、薬がなかったり入院費がなかったり。重い病になってしまうことがとても気がかりです」
 「ドイモイ(刷新)」と呼ばれる開放政策によって市場経済化が進むベトナムだが、貧しさのために学校教育を受けられない子どもたちも多い。
 同基金事務局長の南康雄さんは「地方では貧困のために学校に通えない子どもが多くなっています。皆さんにベトナムの現状を知っていただき、ご協力願えれば」と同基金への参加を呼びかけている。問い合わせは、同基金事務局03・3946・4121まで。【鈴木美穂】


人情の街サイゴン その9

脇 平 裕 美

 ドンドンドン! 誰かが部屋のドアをノックする音で目がさめる。まだ6時前ではないか。イヤな予感。ドアを開ける。や、やはり。昨日の夫婦が爽やかな笑顔で立っていた。 「まだ寝とったんか? 今から朝ご飯食べに行くでっ。そこの麺がおいしいねんて。早く着替えなさい」 どこにいてもおばちゃんのパワーには勝てまい。急いで着替えて出発。 「このあと、どうするんや?  私らは山の上のお寺を見て、それから海に行くけど。一緒に行くか?」   噂どおり美味だったベトナム麺をすすりながら、おばちゃんは出会ってまだ半日しかたっていない私をふつぅーに誘ってくれた。せっかくの二人の旅行なのに、どうしてこんなにヒトがいいのか。不思議に思いながら、でもせっかくだし、とついて行った。
 どこで見ても変わらない、早朝から騒がしい街の市場を散歩してから、私たちは自動三輪の乗り物に揺られて観光を開始した。道なき道を走り、山に登って、洞窟の中にあるお寺を見物し、天女が描かれているように見える洞窟の壁にお祈りし、山を下りる。そして海、待望の海である。
「なんやこれー。汚いなぁー!」 これがおばちゃんの感想であった。確かに、目を輝かせて語ってくれた学生たちの期待に応えられるような感動はない。須磨の海よりはきれいかもしれない。しかしふつーの海である。おばちゃんの愚痴は続く。
「もぉー。ハーティンの海はきれいやと聞いたからここまで来たのにー。汚いなぁー」   そう。おばちゃんも“人のウワサ”を聞いてここまでやってきたのだった。うんうん私もだよ、と一緒にうなづく。ま、こんなモンか。しばらく水でばしゃばしゃ遊び、またがたがたと揺られ街まで戻る。
「帰る」
「へ?」
「ホーチミンに帰るわ」
道中、おばちゃんがあっさりと言った。そ、そんなに期待はずれだったのか。
「あんたはどうする?」
「え、え〜、来たばっかりやからもう少しおるわ」。ひとりで少し街をぶらぶらしてホテルへ戻り、二人の部屋をのぞくと、ホントに荷造りをしている。
「ホーチミン行きのバスは午後2時出発やって。あんたは帰らへんのんやな?」
 到着してまだ半日ではないか。でもおばちゃんの決心は固かった。そしておじちゃんは3歩下がってついていくだけ。それにしても本当に残念である。お世話になったから今日の晩ご飯は私がご馳走しようと思っていたのに。旅先での友は真の友にはなれない、と言うがあまりにもあっけない。しかしベトナムでは街の中然り、旅先然り、出会いはふいにやってくるが、「嗚呼、あの人情は“気まぐれ”だったのかぁ〜?」と思わせるほど別れも本当にあっさりとやってくるのだ。
 こうして新しい出会いと別れを体験し、私も新学期に向けて充電完了。また土ぼこりまみれになりながら8時間かけて我が家へと戻った。ホットシャワーと水洗トイレ、洗濯機のありがたみが倍増している。(わきひら ひろみ・元駐ホーチミン市スタッフ)

●長らくご愛読いただいた「人情の街サイゴン」は、著者の都合により今号をもちまして連載を中断いたします。(編集部)


事務局より

避難所兼学校全景
教室ではすでに授業が行われていた

 2000年11月16日付号外で呼びかけ、ロンアン省トゥートゥア郡ロントゥアン村に建設中だった避難所兼学校が完成、9月5日に落成式が行なわれました。建設資金を主に支援した青葉奨学会沖縄委員会、北陸ベトナム友好協会、ベトナム子ども基金を代表して青葉奨学会駐在の土肥明代さんが落成式に出席、「村の子ども全員が中学に進学できるようになることを願っています」と祝辞を述べました。
 グエン・ドク・ホゥエ代表は日本からの支援について、「ベトナムの教育に多くの関心をよせています。自分たちの経験を通じ、教育が発展の基礎であると理解しているのです」と語りました。「この学校は日本の友人たちからの贈り物であり、里親様たちは、学生たちが本当によく勉強できるようになり、いつかあなたたちの美しく豊かな故郷をより良くしてほしいという願いを込め、洪水の時期も勉強ができる場所をくださったのです」
 ご支援くださったみなさま、ありがとうございました。
 10月5日(土)、6日(日)に東京の日比谷公園で開かれる「国際協力フェスティバル2002」にベトナム子ども基金も参加します。NGO、国際機関、政府機関等200団体が参加します。ぜひ遊びがてらお立ち寄りください。
 ベトナムは9月から新学期です。新しい履歴票がホーチミン市の青葉奨学会より届き次第、日本語訳をつけてみなさまのお手元にお送りします。ただし、短大、大学への進学予定の里子については、入試の結果の確認がとれてから、引き続き同じ里子を支援するか、新しい里子を支援いただけるかの確認の連絡をいたします。なお、同じ里子をずっと支援したいとのお気持ちはよくわかりますが、青葉奨学会も、われわれベトナム子ども基金も多くの子どもに就学の機会を与えたいので、新しい里子の支援をお願いしたいと思います。
 本年より、里子の審査をこれまで以上に厳しくするとの、青葉奨学会からの連絡がきています。理由としては、奨学生の態度に問題がうかがえるようになったためとのことです。ですから、今年度からは履歴票と、本人の手紙(家族状況や、これまでの奨学金をどのように使っていたかなど)、推薦者の手紙(学校の先生でも、近所の人間でも誰でもいいが、その学生をよく知っている人が書いたもの)を総合的に判断して、支援を継続するかどうか決めたいとのことです。どうぞみなさまにもご理解いただきたいと思います。


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