「ベトナム子ども基金通信No.20」より


ホーチミン市へ里子訪問ツアー 説明会開催

ベトナム子ども基金は3月16日、ホーチミン(HCM)市里子訪問ツアー参加者への事前説明会をアジア文化会館で開催しました。5年ぶりとなるツアーの募集人員は15名でしたが、全国から20名の参加が決定、説明会には12名が出席しました。
 説明会では、南康雄事務局長が子ども基金の現況のほか訪越時の注意点などを説明、旅行代理店ピースインツアーの鈴木努添乗員が詳しい旅程を紹介しました(2ページ参照)。また、簡単なベトナム語会話の練習を行ったほか、出席者からの質問に答えました。

子ども基金の現況
 今回の里子訪問ツアーについて、近藤昇代表は「里子たちとのいい出会いを実現したい」と趣旨を語りました。子ども基金の現況については、南事務局長から、会員総数は448名、里子総数は468名などの概要のほか、里子と里親の手紙の翻訳態勢について説明しました。
 現地での受入に関連して、ツアー訪越時は、駐HCM市スタッフの交代・引継時期にあたり、青葉奨学会には2名の日本人がおります。2000年7月から赴任している高橋佳代子さんは今年5月上旬に帰国します。後任の土肥明代さんは、ハノイで1年間ストリートチルドレンの研究をしていた方です。3月25日に現地入り、駐在は2年間の予定です。

旅程等の補足説明
 到着日の4月5日夜には、青葉奨学会主催の夕食会がドンズー日本語学校で行われます。6日に予定されていたロンアン省の避難所兼学校の開校式への出席は、工事の遅れにより、残念ながら無理であることが判明しましたが、希望者には建設現場の見学が手配されます。7日夜には、駐HCM市スタッフらとの夕食会が、元ストリートチルドレンだった子どもたちが働くレストランで用意されています。また、宿泊先は、マジェスティック・ホテルに決まりました。

質疑応答
Q:お土産は、何がいいのですか。
A:子どもの金銭感覚を狂わす高額なものはご遠慮ください。現地の文房具店にある、青ボールペンやノートが適当ではないでしょうか。
Q:服装はどうしたらいいですか。
A:最も暑い時期で、日差しも強く、日中の気温は35℃くらい。肌の弱い方は、長袖の着用をおすすめします。帽子も必須ですし、サングラスがあるといいでしょう。避難所兼学校の見学に行かれる方は、ボートでの移動で水しぶきをかぶったりしますから、汚れてもいい格好でお願いします。また、今回のツアーでは、特にあらたまった服装は必要ありません。
Q:両替はどこでできますか。
A:ホテルでできます。市内では米ドルの小額紙幣があると便利です。クレジットカードもホテルやレストランで使えます。大金は持ち歩かず、その日に使う分だけを用意してください。

里子訪問ツアーの概要
・日  程:4月5日(金)〜9日(火)
・参加費用:9万円(お一人様)
・募集人員:15名(最小10名)
・申込締切:2月15日
・参加費に含まれるもの(抜粋):航空券代、ホテル代、団体行動時の車代、食事代(一部)
・参加費に含まれないもの(抜粋):渡航手続き費用(パスポート・ビザなど)、海外旅行傷害保険料、その他
・企画お問い合わせ・お申し込み:ベトナム子ども基金(〒113-8642 東京都文京区本駒込2-12-13 アジア文化会館内,電話:03-3946-4121,ファクス:03-3946-7599,E-MAIL:kodomo.kikin@nifty.com(受付時間:毎週月・水・金曜日の午後1時〜5時)
・旅行手配会社:株式会社 ピースインツアー・ベトナム子ども基金係 担当・鈴木(〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-25-32 108ビル4階,電話:03-3207-3690,ファクス:03-3207-6343,E-MAIL:suzuki@pitt.co.jp)

訪問日程の詳細
1日目:4月5日(金)
 東京または各地から関西国際空港に集合、ベトナム南部のHCM市へ。ホテルにチェックインの後、ドンズー日本語学校にて青葉奨学会主催夕食会(お一人様10ドル)。
2日目:4月6日(土)
 終日、市内観光(統一会堂、戦争証跡博物館ほか)。または、ベトナム子ども基金支援による、隣省ロンアン省の避難所兼学校の建設現場の見学。夕食はHCM市内レストラン。
3日目:4月7日(日)
 午前、青葉奨学会のグエン・ドク・ホゥエ代表との懇親会。午後、里子の家庭訪問(日本語ガイド同行)。夜、駐HCM市スタッフとの夕食会。
4日目:4月8日(月)
 終日、出発まで自由行動。オプショナルツアーも設定(ミトー・メコン川遊覧終日観光:6000円/お一人様、2名以上にて催行。クチトンネル半日観光:3800円/お一人様、2名以上にて催行)。
 夜、空港へお見送り。(機中泊)
5日目:4月9日(火)
 早朝、関西国際空港に到着、解散。乗り継ぎの方は各地へ。

※今回の訪問には、関西国際空港発着のベトナム航空便を利用予定です。東京からは羽田空港発の国内線の無料接続が可能です。他都市からご参加の方にも、割引運賃の設定があります。
※日本から添乗員が同行いたします。


●5月から駐ホーチミン市スタッフに赴任する、土肥明代さんに自己紹介を兼ねてベトナムへの想いをお寄せいただきました。(編集部)

ベトナムと私

土 肥 明 代

はじめてベトナムを訪れたのは5年前、大学2年の春休み。明確な理由もなく、目覚めたらベトナムに行きたくなっていたようなものでした。旅行中、私の今後を決める二つの出会いがありました。ひとつはフエの大教会を案内してくれた幼い少年。物静かな雰囲気をもつ瞳の美しい彼に惹かれ、彼に会うために絶対ベトナムに戻ってこようと思いました。もうひとつは、ホーチミン市の物売り少年・少女たち。彼らにしつこく追いまわされましたが、一日中商売をしているのを見て、学校に行くことが当たり前の日本で育った私は、「この子たちは学校行ってないの?」という疑問を抱きました。この二つの出会いが、私を1年間のハノイ留学に導いてくれました。
 ハノイでは3か月の語学勉強の後、4か所のストリートチルドレン保護施設に通い、子どもたちから多くのことを教わりました。ずるがしこさ、冷たさ、憎たらしさと同時に、「本当の強さや弱さ、優しさ、寂しさってこういうものなんじゃないかな」と感じられるものを教えてもらった気がします。また、もらうばかりでなく、私が彼らに残せたものもきっと何かあったはずだと私は信じています。
 大学院では、子どもがストリートチルドレンになる家庭とならない家庭の違いをテーマとし、親の考え方に起因する部分があるのではないかという仮説のもと研究を進めました。昨年3月、調査でベトナムを訪れた際に青葉奨学会を訪問、高橋さんから後任のお誘いをいただきました。帰国して両親に相談すると、「このチャンスをつかまなかったら、いつ次がくるかはわからない。もし行かなかったら後で後悔するだろう」という言葉が返ってきました。私は両親の言葉に背中を押され、後任のお話を引き受けることに決めました。
 3月末にベトナムに渡り、1か月の引継期間の後、5月から正式に青葉での仕事が始まります。まだ社会に出たことのない私が働くということ、しかも異国であることなど不安に感じる部分はもちろんたくさんあります。しかし、「自分が本当に望むことなら、努力してできないことは何もない」という信念のもとがんばっていきたいと思います。
 私はベトナム人に「ベトナムの何が一番好き?」と聞かれると、必ず「ベトナム人」と答えます。ベトナム人の、超がつくくらいのお節介、いい加減さ、嫌いな部分ももちろんたくさんあります。でもやっぱり、ベトナム人の温かさ、明るさ、豪快さが大好きです。私はベトナムと関わるようになり、出会いも増え、世界がとても広がりました。私のベトナムとの関係は、誰もがそれぞれ持っているベトナムとの関わりの中の一例に過ぎません。でも私は「私とベトナムとの関係」を大切にし、これからもずっと育てていきたいと思っています。そしてこの関係を、もっともっと広げていきたいと願っています。(どひ あきよ・次期駐ホーチミン市スタッフ)


●本通信19号の「事務局より」でふれた、ドンズー日本語学校からの留学生の詩を紹介します。ベトナム語の原文をご覧になりたい会員の方は、事務局までご連絡ください(締切4月30日)。送料は事務局負担でお届けいたします。(編集部)

後からきた男

ドン・ゴック・チエン作(早川明子訳)

   簡単なことさ 僕は後からきた男だから
   秋の葉が散った頃に咲く火炎樹の花のように
   君が無情な訳じゃない でも何故にこんな遠く離れて
   だから僕は降り続く雨の中 今も一人立っている
   2人の道が分かれ道に来るのはなんて早いのだろう
   たった一度過ぎただけで もう過去の道になるなんて
   引き止めるものもないかのように 君は別れていった
   それもそうさ 僕は何も言わなかったのだから

   簡単なことさ 僕は後からきた男だから
   僕の後に来た何人もの彼らと同じように
   だから君は忘れただけさ 覚える価値のない事のように
   昔も今もそういうものさ 何でもない

   簡単なことさ 僕は後からきた男だから
   校門が閉ざされてから 机の引き出しにバラの花束を置いた
   次の日はとても美しい秋の始まり
   でも君は行ってしまった 君の最後の夏

   いつか記憶は突然忘れ去る
   僕の側にもう一人の誰かが
   でも僕の心は決して覚えたりしないだろう
   簡単なことさ 彼女は君の後に来たひとだから

作者からひとこと:「この詩は高校を卒業するときに、みんなとの別れに臨み、空想しながら作りました。私は小心な性格なので、実体験からの詩作ではありません」。
作者略歴:1982年、北部ナムディン省生まれ。2001年4月来日、現在日本語を勉強中。2003年4月には大学に入学し、機械制御を勉強したいと希望している。


Gap Lai Nhe また会いましょう

高 橋 佳 代 子

今回は「私の引越し&サイゴン住宅事情」をお話しします。サイゴンに住んでから、はや1年3か月が過ぎました。この間、私は実に3回も引越をしています。この家は4軒目ですが、なかなか快適。来年、完全帰国するまでは落ち着こうと決めてはいますが、いったいどうなることやら…。
 外国人が「家を借りたい!」と思っても、どんな家を借りるかでかなり勝手が違ってくる。その人が某商社の駐在員だったり、某国大使館の人であったり、はたまた余生をベトナムで過ごそうと思っている人だったり。家もピンからキリまでいろいろである。今回は、私のようなフリーランスでやってきた人間が部屋を借りる場合に焦点をあてよう。
 まずは安宿街として知られているファングーラオ通りに仮の宿をとりながら、レンタルルームを探す。安宿街には長期でレンタルを行っている場合も多く、安いところは1か月100ドル以下で借りることができる。同時に口コミで「実は部屋を探しているのだけど…」と触れまわり情報収集を行う。もしくは外国人に部屋を貸し出している通りへ直接行って、飛び込みで探すという手もある。ただし、安くてよい物件を探すとなると、やはり口コミが一番効果的だ。
 そんなこんなで、いくつか気に入った物件を見つけたとしよう。そこからが腕の見せ所。ベトナムは交渉の国。不動産とて例外ではない。まずはファシリティをどれだけ充実できるか、すべて交渉で決まる。基本的にはベッド、机、ワードローブ、本棚は自動的についてくる。でも、冷蔵庫、テレビ、電話などは、普通プラス10〜20ドル。私が譲れないものはインターネットを使うための電話で、この個人用の電話も含めて家賃を抑え、オプションに組み込むという算段があった。しかし、このことに固執したため失敗したことがある。
 2回目の引越のとき、家賃が100ドル以下、中心区から離れてはいたがよい物件を見つけた。電話の交渉もばっちりで引っ越した。にもかかわらずある。引っ越して1か月たっても電話がつかないのだ。だんだん不安になり、大家に聞いてみると、「実はこの地域は電話線の供給が終わっていて、これ以上増やさないらしい。どうしてもほしかったら賄賂を払ってくれ」とぬけぬけと言うではないか。腹が立つやら、悲しいやら。結局このような事態を予測できなかった自分が甘かったという結論に達した。(この家には6か月いた)
 いざ引っ越して住んでみるとおやっと思うこともある。この2度目の物件がそうだった。3階にバルコニー、8畳のフローリングにバスタブとトイレ付きで、2階には台所があった。その台所の換気扇が問題である。当時、私はよく自炊をした。そうすると今までたまっていた換気扇の汚れ(汚水)が吹き出てくる。しょうがないから3日間換気扇を回しっぱなしにして、汚水をすべて吐き出させた。こんなことは住んでみないとわからない。
 また、ベトナム人は一般的に花など植物を育てるのが好きである。花があると気持ちがやすらぐのはいいのだが、花に寄ってくる芋虫やアリは、まったく心がやすらがない。特に芋虫が苦手。バルコニーの窓を開けっ放しにしておいて、巨大な物体が部屋をゆうゆうと横切っていく姿をみて凍ってしまったこともある。(たかはし かよこ・駐ホーチミン市スタッフ)

●本稿は、2001年7月8日に執筆されたものです。(編集部)


人情の街サイゴン その7

脇 平 裕 美

夜中なのにえらく盛り上がっている。おっちゃんたちは、すでにお酒で顔が赤い。もちろんみんな、私たちを部屋へは帰してくれない。そして勧められたお茶碗にてんこ盛りなのは、油でぎとぎとのチキンくん、肉やら豆の詰まった重ーいおこわだった。「あっさりした年越しそば」では、ベトナム人は年を越せないのだ。
 それにしても驚くのは、この、騒々しいお正月の迎え方だ。「元旦は家族で静かに迎えるもの」と考える私たちや、「クリスマスは家族だけで静かに…」と考えるヨーロッパの人たちとは逆に、ベトナムでは元旦のその日から親戚や友人たちはもちろん、私たちのような飛び入り参加まで、入れ代わり立ち代り訪れる。こういう光景を見ると、日本では家族の絆の弱さを元旦一日で埋め合わせしようとしているように感じられ、また少しうらやましい気持ちになる。
 こうして二日後、友人は「食べさせられ過ぎ」の胃痛を訴え、涙のお別れもないまま空港のトイレへとまっすぐ消えていった。
 さて、一人になってしまった。空港で前のめりになった友人の後姿を見送りながらふと思った。
「そうだ、田舎へ行ってみよう。そうそう、学生たちがよく言っていた、ベトナム南部の街ハーティンとやらに行ってみよう」
 授業中、日本語のお勉強にかこつけて、私はベトナム制覇を目論んで学生たちに色々質問をしていた。
「ベトナムの人は休みにどこへ行きますか?」
「ベトナムできれいな街はどこですか?」
すると、たいてい学生たちは、こう一生懸命に教えてくれるのだ。
「せんせい、ハーティンが一番きれいです」
「はい、りょうりがとてもおいしいです」
「ハーティンは海がとてもきれいです」
「ハーティンは旅行の街です」
私は今後の参考にもっと聞きたいと思った。
「へぇー、そうですかぁ。みなさんはハーティンへ行ったことがありますか?」
みんなは声をそろえて、嬉しそうに首を振る。
「いいえ、行ったことがありません」
 なんでそんなに堂々と説明するねーん!!かくして、私は彼らの臨場感あふれる説明とその表情に「だまされて」ハーティンを目指すことにした。
 思い立ったが吉日。帰宅せずに空港から直接長距離バスのターミナルへ向かった。行き先は、やはりカタカナの「ハーティン」。バイクタクシーのおっちゃんをつかまえて、「ハーティン、バス、バス。ハーティン」と繰り返す。以前「固有名詞は何度も発音を変えて叫べばいつかは通じる」と学習した私は、強気でいろんな発音を試した。すると、ほぅら通じた。おっちゃんは「あー、ハーティンね。じゃ、東のターミナルだよ」と、エンジンをかける。得意げに後ろにまたがる私。
 20分ほど走り、大きなターミナルに着いた。おっちゃんはわざわざハーティン経由のバスを探してくれ、1台のバスの前で私を降ろしてくれた。私はにこやかに「ありがとう」と言い、ふと行き先を見ると、はるか遠くの北部にある首都「ハノイ」と書かれているではないか。ハーティンは南の果てのはず。正反対ではないか。
「お、おっちゃん。これ、ハノイ。私、ハーティン、行きたい」
ありったけのベトナム語を駆使して私が叫ぶと、おっちゃんは胸を張って言う。
「だーいじょうぶ、大丈夫。これ、ハーティン行ってからハノイに行くねん」
 そんなばかな。それではまるで、北海道に沖縄経由で行くようなモンではないか。私はベトナムの地図を出し(最初から出せばよかったのだ)、南の端を指差した。このころにはすでに運転手や乗客も参加。みんな眉をひそめてこのすれ違いのなぞを解いているその瞬間、一人のおっちゃんの豆電球が光った。
「あぁ〜〜! 分かった! それは、Ha Tien(はぁー・てぃぃーん)や! ちゃうちゃう、このバスが行くのは、Ha Tinh(はぁー・てぃイーン)やで」
またまたヤってしまった、というか、ヤられてしまった、ベトナム語に。そして自分自身の強気の自信に。
 なんといっても一番悲しそうな顔をしているのは、バイクタクシーのおっちゃんである。なんせ、私の行きたいハーティンのターミナルは、この東ターミナルではなく、街の正反対にある西ターミナルだからだ。
「おっちゃん、お願いぃ〜〜」
 私は拝み倒し、もと来た道を戻り、そこからさらに20分先の西ターミナルまで走ってもらった。その40分間の道中、おっちゃんは親切心からか、それとも二度とこんな目に遭いたくなかったのか、ひたすら私に発音させた。
「さっきのは、Ha Tinh。あんたが行くのは、Ha Tien。わかったか? もっかい発音してみろ」
 この2語も決して忘れない。おっちゃん、ありがとう。
 正午ちょうどにターミナル到着。何度も何度も頭を下げておっちゃんと別れる。順調にチケットも買った。片道8時間らしいから、夜には現地に着くだろう。ほっとして売り子のパンを買ってバスに乗り込む。間に合った。気が抜けたのか、そのまま眠ってしまった。 ……はっと気付いた。1時間経っている。今どこだろう? そして目を疑う。まだ景色は変わっていない、流れていない。ターミナルの中で静止している。売り子もあいかわらずうろうろしている。これを繰り返すこと4回。夕方4時にようやくバスは出発した。
 ベトナムの長距離バスは、よく韓国や日本の古いバスが使用されている。日本と車線が反対なので、左ハンドルに改造されているのは許そう。しかし、二人がけの椅子までもが三人がけへと作りかえられているのだ。そこへ恰幅のいいおばちゃんが子ども(=チケットなし)を抱えてやってきた日には、今日は仏滅だと信じて諦めよう。日ごろからダイエットを心がけていなかった自分が悪いのだ。
 別に大勢の知り合い同士が乗っているわけでもないのに、車内はなぜか騒がしい。隣り合わせになったらたいていどちらかが話し掛けているか、一方の独り言に他方が答えているかしているのだ。しかぁし、そんなに話し掛けられても私には返事ができない。ところが、私がニホンジンだとわかると、次は質問攻め。
「どこに住んどん?」「職業は?」「何歳?」「結婚しとん?」「彼氏は?」「給料いくら?」「家賃いくら?」
来た来た。どれをとっても、日本ではタブーの質問ばかり。しかも初対面。しかもバスを降りればまた他人だ。聞いてどないすんねん。
 当初は私もこの「7大ぶしつけ」質問にいちいち腹を立て、憮然として答えず、ベトナム人の友人にそのココロを問いただしていた。要は、これらの質問は、「私はアナタのことを気にかけていますよ。何か困っていたら助けてあげますよ」という親切心からくるのだそうだ。決して「ただの知りたがり」ではないらしい。(わきひら ひろみ・前駐ホーチミン市スタッフ)


事務局より

今回のツアーは、主にホーチミン市の里子を訪問するだけとなりました。旅行代理店に確認したところ、他地域の里子を1人で訪問することも、以前に比べ容易なことがわかりました。6月には成田−ハノイ直行便も就航します。里子訪問をご希望の方には、青葉奨学会、旅行代理店と相談の上、里子との会見をアレンジ致します。
 ロンアン省に建設中の避難所兼学校の開校は、里子訪問ツアーが訪越する4月上旬には間に合いませんでしたが、まもなく完成予定です。予算は当初285万円でしたが、設計変更のため370万円に増額、緊急支援予算の不足分は子ども基金の方から、教育環境整備費として支出させていただきます。
 駐ホーチミン市スタッフの高橋佳代子さんは5月上旬に任期を終え帰国、大学院で民際学を研究する予定です。後任として土肥明代さんが3月下旬、2年間の予定で訪越しました。
 前号でみなさまにご提供をお願いしました、書き損じハガキと記念切手は、3月15日現在、切手で2万2807円の寄付がありました。ありがとうございます。随時募集していますので、引き続きお送りいただければ幸いです。
 銀行口座が富士銀行から「みずほ銀行」に変わりました。支店番号は234から559になりました(口座番号は変更ありません)。銀行振込をご利用の方は、ご注意ください。
 ホームページアドレスが変わりました。1ページ題字欄をご参照ください。



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