「ベトナム子ども基金通信No.13」より


困難を忘れずに ─奨学金授与式より─

青葉奨学会の2000年度第1期奨学金授与式が1月23日、ホーチミン市1区の友好会館で行われ、市内の全奨学生512名に手渡されました。今年度は全国各地の子どもたち1000名以上に奨学金が支給されます。奨学金支給地域は郊外の各郡や僻地の村々、全国の各省へ広がりました。開催にあたり青葉奨学会代表のグエン・ドク・ホゥエ氏は概略次のようにあいさつを述べました。

青葉奨学会が設立されてもう8年が経ちました。当初の「兄弟奨学会」から換算しますと当奨学会は28歳になります。この2000年度、私どもは1000名を越える子どもたちに奨学金を支給します。奨学金支給やその他の活動は、全国各地に広がりました。北部はハノイ、ナムディン、中部はフエ、クアンナム、ダナン、クアンガイ、南部はロンアン、ティエンヤーン、ベンチェー、カントー、カーマウです。

私どもが今日のように発展できたのは当奨学会の趣旨や活動内容を正当と認め信頼してくださった皆様のおかげです。この場をお借りして、奨学金を援助してくださった里親の皆様、貴重な手助けをいただいた市内奨学会・各機関の皆様に改めて心よりお礼申しあげます。

奨学金を受けている皆さん、この2000年度、数回に分けて支給される奨学金は私の友人たちから広がった方々からの贈り物です。この方々は、ベトナムの国・ベトナムの民族を愛してくださっています。将来ベトナムの国民が衣食住に満ち足りて幸せに暮らし、ベトナムの国が世界の国々に負けないよう発展することを信じてくださっています。そして、ベトナムの若い世代、とりわけ青葉奨学生として選ばれた優秀な学生たちに、この信頼をおいてくださっています。

私たちを産んでくれたお父さんお母さんは、苦労して私たちを育て、教え諭し養ってくれました。お父さんお母さんは私たちを一番愛してくれている人です。ですから皆さんもお父さんお母さんを愛し、二人が喜ぶように勉強し、きちんと生活しなければなりません。そして、皆さんがお爺さんお婆さんになっても、両親の恩を忘れず、一生両親を敬愛して生きてゆかねばなりません。将来のためにいまはしっかり勉強し、もっとがんばってたくさんの知識を身につけ、自分の可能性を磨きましょう。

皆さんの周りには、まだ生活に苦労し衣食住に満ち足りていない人たちがたくさんいます。中部の学生たちは昨年の台風で家をなくし、本やノートもなければ机や椅子もありません。皆さんの同胞はまだまだ苦労しているのです。また、常に自分の家族のことを忘れないでください。この社会、自分の国のことを忘れないでください。そして、すばらしい国を造り、世界の国々に追いつき幸せに暮らすために自分の力を出し切りましょう。皆さんは両親に育ててもらい先生方に学び、社会に育てられ、国に養ってもらい、里親の方々に助けてもらっています。皆さんはこの方々のことを決して忘れないで下さい。そして皆さんの力を社会に集約することで恩返しをしましょう。

最後になりましたが、ベトナムの子どもたちにくださった里親の方々の貴重なお心に、そして私どもの活動を励まし後押しして下さった皆様方に、もう一度心より感謝申しあげます。


元青葉奨学生のことば 技術大学情報工業科講師 ホー・バン・クアン

以前皆さんと同じように奨学金をいただいていた者として、ここに招待していただき大変光栄に存じます。まず、校長先生と青葉奨学会の皆様、そして里親の皆様に心よりお礼申しあげます。皆様は、まだ学校へ通っていた私に何年もの間、勉強する機会を与え、心を尽くして奨学金を援助してくださった上に、あとに続く若い世代にも引き続き支援してくださっています。

実際、いまになって自分の受け取っていた奨学金がどれほど貴重なものだったか感じることができました。私はようやく自分の成長の過程や自分が為し得た学習結果において、この奨学金の意味を理解したのです。学生の皆さん、自信をもって自分を磨けばきっと夢を勝ち取ることができます。しかし、大きな成功を手にしようと思えば“鉄”のような精神で切磋琢磨しなければなりません。固い意志と忍耐力をもって聡明な知能と思考力・想像力を作り上げていってください。そうすれば困難や障害を乗り越えられるでしょう。

本日申しあげたことは、私が学生だったころから知っていたわけではありません。学生時代の苦労を乗り越えたあとで自分が学んだことをまとめただけです。だからこそ、皆さんが学習面と生活面でよりよい成果をあげることを願い、自分の経験をお話しいたしました。

最後に、青葉奨学会の皆様、里親の皆様、学生の皆さんのご健康とご成功をお祈り申しあげます。そして、学生の皆さんが、この先私たちの社会と国の発展に貢献することを願っております。


「タオダン支援」から「緊急支援」に

1997年9月にそれまで支援していたイギリスのSave the Childrenからの支援が中止され、活動存続の危機にあったタオダンへのご支援を皆さまに呼びかけました。その後、1999年末までの皆様からのご支援は総額413万1352円に達し、その中から1998年と1999年の2年間各100万円を支援しました。

彼らの地道な活動にSave the Childrenも支援を再開し、ベトナム内外から多くの支援が集まっています。私たち子ども基金の支援がきっかけになって、昨年、NHK「新アジア紀行」で取り上げられたこともあり、日本からも多くの支援を受けることもできました。現在は活動を維持拡大するための預金もできるようになりました。そして、より専門的な活動をするため、今年2月には専従スタッフの内3人がフィリピンで15日間の研修を受けることもできました。

そのため、ベトナム子ども基金はタオダンの「活動維持のための緊急支援」という当初の目的を達成したと考え、今年度はひとまず支援を中止することにいたしました。そして、より緊急に支援を必要とする他の施設の子どもたちを支援するために、お送りいただいた基金を使うことをご了承いただきたく存じます。

2000年度はまず、ホーチミン市7区にある孤児院「ロンホア」にお米代を支援することになりました。この孤児院はロンホア寺(1902年建立)のお坊さんたちにより1995年に始められました。現在、5才〜16才の孤児の男子110人が生活し、教育を受けています。

お寺の信者たちのお布施や一般の寄付によって運営されていますが、今年は昨年秋に発生した中部の大洪水の影響で寄付が減り、子どもたちの食べる“米”が不足している状態です。

米は1日60kg必要だということです。米は普通1kg=4000ドン(約31円)ほどですが、安く提供してくれるところがあり、1kg=2800ドン(約22円)で買っています。1か月分は約4万円になります。3か月分の12万円を青葉奨学会とグエン・ドク・ホゥエさんを通じて、2000年3月10日に支援いたしました。

なお、これまで「ベトナム子ども基金 タオダン支援」として募金しておりましたが、今後は支援対象をもっと広げるという意味で「ベトナム子ども基金 緊急支援」に名称を変更し、緊急に支援を必要としているベトナムの子どもたちへの支援に使わせていただきたいと思います。今後ともご協力よろしくお願い申し上げます。


ベトナムの交通(ベトナム子ども基金・駐ホーチミン市スタッフ  脇平裕美)

“エネルギッシュな街サイゴン”というようなタイトルの映像を皆さんももうご覧になったかもしれない。おびただしい数のホンダバイクと、その積載限度を確実に超えているであろう人と荷物。そしてみんなノーヘル。「どうして?」「暑いから。」…納得。そしてみんなミラー無し。「どうして?」「ジャマだから。」…確かに。

実際、朝夕の渋滞は筆舌に尽くし難い。ラッシュというものは何処の国でも大変なのだ。空いたスペースをねらって少しずつ進まなければ、目の前に見えている目的地までも10数分かかってしまう。ベトナム人の“譲らない・並ばない精神”はきっとこの交通量の中で育まれたのだろう、と排気ガスに息を止めながら一人でうなずく。(写真:安全運転をうながすす看板を据えつけている様子。ホーチミン市)

そして日本が持ち込んだこの“すばらしい”乗り物のおかげで彼らは一切歩かない。まさにDOOR To DOORで移動できるからだ。この弊害を知ってか知らずか、ベトナム人は夜明け直後のまだ涼しい朝5時ごろから公園や道で体操したりバドミントンをしたりする。もちろんそこまでバイクで行くのだが。

それにしても最近急激に信号が増えた。今まで信号のない交差点ではほとんどスピードを緩めずお互い上手に避け合って縫針のようにすり抜けていたのに。いちいち止まるのは本当に面倒くさい。だが例の渋滞時にはこれが威力を発揮する。なるほど、と信号の意味を再認識した。

このように交通量の多いサイゴンでは、コンタクト着用そしてサングラス故障中の私にとってほこりは大敵である。目にゴミが入るたびに路肩に自転車を停めてひたすら泣く。すると道端のおいちゃん・おばちゃんが「どないしたん?大丈夫か?」(←私にはこう聞こえる)と心配そうに覗き込んでくれる。嗚呼、人情の街サイゴン。この街では、バイクで走行中でも見知らぬ人によく話し掛ける。「暑いなぁ。」「ねぇねぇ、今何時?」に始まり、「ウィンカー付きっぱなしやで。」そして「そのチャリンコいくらしたん?どこで買ったん?」…。事故にならないのを祈るばかりだ。

サイゴンの街を走ると、色々な匂いを感じることができる。季節の果物の香り、雨上がりの樹の匂い、お寺からは線香、そしてもちろん排気ガスや汚染された川の臭いまで。どこから何が飛び出してくるか分からないテレビゲームのようなこの街を、これだけ余裕を持って走れるようになった自分にそろそろ乾杯してあげたい。

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